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【インタビュー】岡本賢明〝新たな夢と共に突き進む〟

小気味良いタッチから繰り出されるドリブルと強烈なシュート

そして、誰からも愛される人柄で絶大な人気を誇った岡本賢明。

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2007年高卒1年目のルーキーが見せた、その肝っ玉の据わったプレーの数々はすぐに観客の心を鷲掴みにした。

私個人としても、生涯忘れられない一つのゴールがある。

2007年J2第50節
コンサドーレ札幌対京都サンガF.C.

札幌6年ぶりとなるJ1昇格も掛かった大一番。

3万人を超す大観衆の中、途中出場した岡本はその左足を振りぬきネットを揺らす。

その瞬間、スタジアム中に凄まじい熱量の雄たけびが木霊した。

クラブ史を通して見ても、最上級の熱狂ぶりだったはずだ。

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その後、故郷の熊本へ移籍し、2017年シーズンを持ってプロサッカー選手としてのキャリアに終止符を打った〝岡本賢明〟は現在33歳。

今は地元・ロアッソ熊本のジュニアユース(中学生年代)の
チーフコーチとして、日々奮闘している。

そんな岡本さんに今回はインタビューを実施。

そこから見えてきたのは
北海道熊本への熱き思い。

そして、胸に抱く新たな夢

人を虜にするキャラクターは今も全く変わらない。

岡本賢明は今も〝夢と共に突き進む〟

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①運命のクラブとの出会い

「熊本県内で優勝するレベルのチームにいたんですけど、全国的に名前が知られたような感じでもなく、普通のサッカーが大好きな少年って感じでしたね」

そう懐かし気に振り返る岡本は4歳から地元の強豪・ブレイズ熊本でサッカーを始めるとその後、中学・高校も熊本のルーテル学院でプレーを続けた。

小学でキャプテン
中学でもキャプテン(1期生の為、3年通じ)
高校でもキャプテン

絶大な求心力は当時から変わらなかったが、負傷に苦しんだ学生サッカー生活だったという。

中三の時に初めて腰の分離症をやって、結局高校卒業するまでずっと付き合うことになった。高校生活の中で1年半くらいはプレーしていないと思いますね。休んで、プレーを再開したら痛くなって。また休んでの繰り返しの中でプレーしていた感じでした。

高校の同級生は述べ5名もJリーグ入り。

岡本が負傷でプレーができない最中も、プロ入りに向け、アピールを続ける仲間の姿に焦りもあった。

だが、限られたプレー時間で見せた岡本のプレーはJリーグのスカウト陣から高く評価され、多くのクラブから練習参加の誘いを受ける。

そして、その中の一つが後に第二の故郷とも語るコンサドーレ札幌だった。

「いくつか誘いを頂いていましたが、正式なオファーを貰ったのはコンサドーレとヴェルディでしたね。練習も何チームも行かせて貰ったんですけど、札幌に行ったときにすぐに札幌に行きたいと思ったんです。」

そう語る岡本。
だが、当時の札幌はJ2でも中位-下位を定位置にしていたチーム。

一体、クラブのどこに惹かれたのか?

「練習参加した時、僕の一個上、二個上、三個上くらいの先輩たちがすごく温かく迎え入れてくれた。練習生っていっぱい来てると思うんですけど、行った初日から大伍(西大伍:現浦和レッズ)とか、カズくん(上里一将:現FC琉球)とか石井ちゃん(石井謙伍:現南葛SC)とかが「釣りに行くぞ!」「飯いくぞ!」と誘ってくれたり、本当にすごくよくしてくれて、馴染みやすくて、行く前の心細かった気持ちなんか吹っ飛んだんです。

僕も三上さん(三上大勝:現北海道コンサドーレ札幌GM)からいつも言われていたのが例えば裕樹(宮澤裕樹)が来たり、色々な選手が練習生できましたけど「ヤス頼むな」と言われるんです。みんなが温かく迎え入れて貰った分、代々下の面倒を見てあげる文化が札幌にはあるんだと思いますね。」

②コンサドーレ入団-退団まで

クラブの雰囲気に惹かれ2007年コンサドーレ札幌に入団した岡本。

その年のチームは序盤から首位を快走するが、8月中旬から次第に失速。

そんなチームの起爆剤として終盤、活躍したのがルーキーの岡本賢明と2年目の西大伍の若手コンビだった。

岡本はデビュー4戦目のアビスパ戦。
前述のサンガ戦でも得点をあげるなど昇格争いが過熱した最終盤で大活躍。

チームの6年ぶりのJ1昇格に大きく貢献した。

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「当時はわけも分からず、ただただ我武者羅にやっていた。
選手のキャリアを重ねていくうちに、あの時やったことは自分にとってもクラブにとっても大きなことだったんじゃないか?ということが次第に分かってきましたね(笑)」

そう回顧する岡本。だが、翌年J1で待っていたのは厳しい現実。

4勝6分24敗(J1最下位)でJ2降格

個人としても13試合で0得点と悔しさばかりが募る一年となった。

中心選手としてコンサドーレをJ1定着させる

強い決意の下、臨んだ翌年のプロ3シーズン目だったが、この年、プロサッカー選手としてのキャリアを左右しかねない大きな痛手を負ってしまう。

右膝外側半月板断裂及び軟骨損傷

「年齢と共に責任感がすごく自分も強くなって、何とか札幌をJ1に早く上げたい。このクラブをJ1に定着させたいという思いの中、そのやりたい気持ちと膝とのバランスがあのケガ以後は取れなくなってしまった、、、
やりたいけどすぐに膝が痛くなって。練習でも本当にフルでやりたいのに、やったら水が溜まるから、お前はちょっと別メニューで調整しようとか。
そういう歯がゆさを常に抱えながら、やっていたというのが本音ですね。
膝のケガ以後は一年通してサッカーをやることができなくなってしまったので。」

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膝のご機嫌を伺う毎日。

岡本はその責任感の強さとコンディションの不一致に葛藤した。

2012年には2度目のJ1挑戦の機会を得たが、再びその壁に打ちのめされJ2降格。

そして、翌2013年はチームの財政難も相まり、コンサドーレは大幅なメンバー変更がなされる。

そんな中、数少ない前年の主力としてチームに残った岡本はこの年キャリアハイとなる30試合に出場し、6ゴールを記録。

副キャプテンとして一定の役割は果たしたが、膝の状態は厳しいものだった。

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「1年間何とかプレーをしたように見えますけど、実際は膝の状態がよくなくて、途中から離脱することが多くなってしまった。凄く悔しさの残る1年でしたね。」

そして、契約更改で待っていたプロとしてのシビアな現実。

「僕としては札幌で生涯やっていきたいとの思いがあった中で
いつかそういう日が来るなとは思っていたんですけども…

〝来年の戦力として考えてない〟

そう言われた時はショックでした。

サッカー選手としてはもう無理なのかな?と思っちゃう所もあったけど、サポーターやメディアの方々が愛情に溢れたメッセージを沢山送ってくれた。

自分はたった7年間しかプレーしてないんですけど。
その中でしっかり頑張ってきて、チームのためにやってきて本当に良かったなって思いましたね。」

望んだ別れではなかったが、コンサドーレには感謝しかないという。

改めて、18歳の岡本賢明の決断に今の岡本賢明が声を掛けるとしたら?
そう問うてみた。

「本当にベストチョイスをしたよと。あとは本当に札幌というクラブに感謝をしないといけないぞ!と今の僕からは言いたいですね。
札幌がなかったら確実に今の自分はないので。サッカー人生の大部分を作ってくれた札幌には本当に大きな感謝があります。」

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③故郷・ロアッソ熊本へ

そんな愛するコンサドーレ札幌からの移籍先として頭に浮かんだのは
1クラブのみだった。

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札幌から戦力として考えていないと言われた時に、その場で強化部長の三上さんに「札幌でプレーできないなら、熊本でやりたい。最後は熊本でプレーしたいので、聞いて貰えないですか?」とその場でお願いしました。

自分もそう長くは現役でプレーできない膝なのは分かっていたので。
そしたら、熊本の強化部長が三上さんと高校が一緒という経緯もあり、順調に話しが進んで、3日後くらいには熊本に行くことが決まったんです。」

地元・熊本でプレーしたい

そんな思いを抱くようになったのも北海道での生活が影響している。

「札幌にいて、僕もすごくサポーターの方たちに応援してもらったり、メディアにも沢山取り上げて頂いたりしました。

ただ、やっぱり道産子の選手。例えば大伍(西大伍)、裕樹(宮澤裕樹)、拓馬(荒野拓馬)、一希(深井一希)だったりの北海道出身の選手にはどんなに頑張っても追いつけない。地元出身選手特有のサポーターとの関わり・絆みたいなのを感じることがあったんです。

そういった関係を僕も地元のクラブ・熊本で作りたいなという風に思ったんですよね。」

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強い決意を持って、故郷熊本に戻った岡本。

その後、4シーズンに渡ってロアッソでプレーし、チームの大黒柱として奮闘した。

中でも忘れられないシーズンがある。

熊本3年目となる2016年だ

岡本はキャプテンも任され、チームも開幕5戦無敗
J1昇格争いも伺える絶好なスタートダッシュを飾った。

「シーズン前にキャプテンの話を貰ったんですが、僕はプロの世界ではキャプテンのキャラじゃないと正直思っていて。

当時、竜二さん(河合竜二)に「竜二さんみたいなキャプテンにはなれないと思うんです」と相談したら、竜二さんが「別に俺みたいなキャプテンにならなくていい。お前はお前の良さがあるから、自分の思っている事を出していけば、チームはよくなると思うよ」と言ってもらって、その年キャプテンに就任した経緯がありました。

それから自分の良さはなんだろう?と思った時にとにかく元気に。
いつもチームを前向きにする事しかできないなって。

そういう所を頑張っていった結果、たまたま開幕から勝つことができたんです。ただ、内容的には全然よくなかったので、これから厳しい戦いになるぞ!って選手たちの中でも話している矢先に震災が起きてしまって…」

4月16日
熊本地震

その後、チームも半月の間、活動ができない状況に陥り、
リーグ戦も5試合が延期となった。

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「正直、そのままいっても、いい順位で終われたかというと全然そうではないと自分たちでも思っているんです。

あの年は震災からの再開後の方がきつかったです。

僕らは5月に練習を再開し、2週間の準備後再開しましたけど、周りはほとんどの人が避難所生活。ライフラインが復旧していない所もいっぱいある状況だった。

俺らはサッカーで頑張って勝って、元気を与えたいという思いだけでした。

ただ、ロアッソが活動していない中も、他のチームはずっと活動している。

短い準備期間の中でゲームに戻ったけど、
強い気持ちがあれば勝てるだろう。と選手も思っていた所もあるんですけど、サッカーって到底そんなに甘くなくて。

やってもやっても、どこが相手でもめちゃくちゃ強く感じる。

頑張りたいって気持ちはあるけど、体は動かない。チームもうまくいかない。それで連敗が続いて、気が付いたら降格争い。
震災で苦しかった思いもあったんですけど、サッカー面でも本当に苦しい一年でした。」

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あの経験を経て1試合1試合のゲームに対する重みも更に変わったという岡本。

その翌年。
プロサッカー選手として大きな決断をする。

「7月にクラブから、来年の契約は厳しいとの声をもらった。
勿論最初そう言われた時には他のチームを探して、1年でも2年でも長く現役をやろうと思っていたんですけど。

ただ、同時にアカデミーのユースコーチにならないか?という話を頂いて。

自分の将来を考えたときに、正直違うチームに行ったときに今の状態で本当に満足できるようなパフォーマンスができるか?と思った時にちょっと悩んでしまったんです。

悩みがあるという事は自分の中でやらない方がいいなと。

また、地元熊本というチームをよくしたい。J1に何とか昇格させたいという思いで来たんですけど、なかなかそういう結果を出せなかった。

じゃあ指導者として、熊本をJ1へという目標をまた模索できるのではないか?という風に思ったんです。

そこから現役引退して指導者になろうと切り替えました。」

当初は、漠然と自分は指導者ではなく、フロントスタッフが向いていると思っていた岡本だが、クラブから誘いを受けると、不思議と迷う事なくやってみよう!と思ったのだという。

29歳という年齢で現役引退を決断した岡本はその後、2018年からの3シーズンは高校生年代のコーチを務め、今年からは中学生年代のチーフコーチとしてロアッソのアカデミーコーチを務める。

「凄くやりがいを感じているんですけど、同時に難しさを痛感していますね。自分が上手くなるのは自分が我武者羅にやって、もっとこうやったらいいってのを考えれば上手くなるんですけど。

上手くさせるっていうのは、選手をその気にさせないといけないですし、
その為にはこういうことをやればいいんじゃないか?というヒントを与える。この作業のバランスがすごく難しい。自分が知っていることを全部教えればいいわけでもなくて、本人に考えさせて、その中で難しそうにしている子にヒントをあげる。ここが今すごい難しいなと感じています。」

日々、試行錯誤しながら選手たちと向き合っているが、長年、アカデミー選手の指導に携わった四方田修平さん(現北海道コンサドーレ札幌ヘッドコーチ)からもその心得を学んだという。

熊本キャンプで熊本に来られた時に、食事とかを何度か一緒にさせて貰ったりしていて。ヨモさんには大伍(西大伍)とか征也くん(藤田征也)とか奈良(奈良竜樹)とかいっぱいアカデミーから人材が出ていた時にどういう感じで選手たちと接していたんですか?ということはよく聞いていますね。

「選手には選手の意見もあるし、指導者には指導者の考えもある。それを恐れず、思い切って選手とぶつかっていた」と言っていて。

僕も今、一生懸命選手へ自分の思いをぶつけて、向こうも跳ね返して来て欲しいなと四方田さんの教えも指導に活かさせて貰ってますね。

僕はまだまだ指導者としてのキャリアはないですし、何が正解かっていうのは分かってない点もあるんですけど。

自分の思いを本気でぶつけるというところ。ダメなことには本気でダメだって怒りますし、いいプレーはしっかりと褒めます。そこだけは自分の中で持っている基準をぶらさないように。子供だからとか。中学生だからじゃなく、プロになるための基準でいつも見るようにしています。」

また、熊本で共にプレーをし、今や日本代表の常連メンバーとなっている
シュミットダニエルと橋本拳人の成長様子を間近で見たことも貴重な経験となっているようだ。

「ダン(シュミットダニエル)に関しては、当時一緒にプレーしてたJ1でも多くの経験を積んでいた選手全員が口を揃えて「お前は早く、代表にいかないとダメだぞ」というくらい、ちょっとスケールが違っていましたし、当時から時間の問題かなというような感じでしたね。

拳人(橋本拳人)に関してはすごく努力家のところがあって。サッカーに関していつもひたむきに向き合っていて、サッカー中心に生きているような選手。

例えば、僕がオフ前とかに飯に誘ったりしても、しっかり自分のペースが合わないときには、自分はこういうことをしないといけないんで。と自分をしっかりと持っていた。

練習前に体を作る時間。練習後にケアする時間というのは圧倒的に他の選手よりも長かったですし、サッカーに対する向き合い方というか接し方を見ても、
俺はサッカーで生きて行くんだという覚悟
そこが一番にあって、すべての生活が成り立っている。

今僕も中学生を見ているんですけど「そういう所に行きたいんだったら、拳人みたいにサッカーとの向き合いを考えた方がいいよ」という事はよく話をしますね。」

彼らが成長していく未来も楽しなロアッソ。

現在のチームは若手指導にも定評のある大木武監督の下、キャプテン・副キャプテンの河原創・上村周平といったアカデミー育ちの選手が中心を担い、今後が楽しみなサイクルになっている。

「やっと熊本もアカデミーの選手がトップ昇格して、チームの中心になってきている。今後はトップチームの半分くらいがアカデミー出身の選手となるのが今のロアッソの目標なので、そこを目指していきたいなと思います。」

その中でも今後が特に楽しみな若手のホープがいるという。

「僕が担当している学年に
道脇豊っていう日本代表候補の選手がいるんですけど。

普段はもうユースの方で活動していて。週末だけジュニアユースの試合にも出たりしているんですけど。

FWで184センチと身長があって、パワー・スピード・シュートも打てるっていう結構万能型のストライカーなので。

代表でもすごく評価してもらってますし、僕が見ていても間違いなくポテンシャルは抜群だと感じています。

順調にいい選手になるように頑張りたいなと思いますし、彼には早めにトップチームで活躍してほしいなと思ってます。」

現在、ロアッソ熊本のトップチームはJ3で戦うこと3シーズン目。
ここまで4位とJ2昇格も射程圏だけに何としても昇格を掴みたいところだ。

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「リーグ戦の難しさ・厳しさっていうのは僕自身もすごく分かっている。
J3だから簡単に上がれるとは思っていませんでしたが、昨年・一昨年とJ3の中で戦力的にも資金的にあった方だと思いますけど、それでもここまで難しいものなのか?と改めて痛感させられました。

ただ、今年は大木さんの2年目になって、チームみんなで今年は上がるんだ!という雰囲気をすごく感じますし、今年こそは、何とかJ2に上がりたいと思ってます。」

岡本賢明が胸に抱く新たな夢

若手育成に力を注ぐ岡本だが、その先に見据えるもう一つの大きな夢があるという。

「今はいい選手を一人でも多くトップチームに送り出して、その選手たちがJ3からJ2。J2からJ1だったりに上げてくれる。それがすごく楽しみですし、夢でもあります。

遠い将来としては、コーチや監督などなんらかの形でもう一回Jリーグの舞台戻りたい。

そして、コンサドーレと札幌ドームで対戦することが一番の夢かなと思います。」

愛する故郷のクラブ・ロアッソ熊本の一員として、
自分が育成に携わった選手と共に、第二の故郷・札幌に凱旋する。

なんともロマンのある未来だろう。

最後に2つの故郷のサポーターにメッセージを貰った。

北海道コンサドーレ札幌
サポーターの皆さん

「本当に熊本に移籍してきた後も、札幌の方たちから沢山の手紙だったりプレゼントだったり、ツイッターだったりでコメントを貰ったりだとか。
そういう思いは熊本にいても本当に励みになってます。

熊本地震の時も復興で色々な活動をしてくれて、感謝の気持ちが伝わっているのか分からないんですけど、僕は札幌サポーターの方たちにはいまだに感謝の気持ちしかありません。

当時一緒にプレーしていた選手やスタッフがいる札幌が今J1でも頑張っている様子を見ると正直羨ましい気持ちが強いです。

裕樹(宮澤裕樹)ともよく話す中であいつも「もうヤス君がいたときの札幌じゃないからね(笑)」ってあいつよく言うんですけど(笑)

でも選手たちが本当にそう感じるくらい大きな変化がいい意味であるんだろうなって。

それはああやって苦しい時代から応援してくれたサポーターやスポンサーの皆様がいてこそ、今の札幌があると思うので。

本当に選手だけの手柄じゃなく、サポーターやスポンサーの皆さんが苦しい時期を乗り越えたおかげだと思っています。

僕もまたそういう光景を見に行ける時がくれば嬉しいなと思います。

そして、あの時以上に熱い応援をしながらも、苦しい時代を一生懸命頑張って来た僕らの事も、どこか心の片隅にでも、忘れないでいてくれたら嬉しいなと思います!

またいつか皆さんとお会いできる日が来ることを楽しみに僕も熊本の方で頑張りますので。

自分の夢でもあるロアッソ対コンサドーレの試合が札幌ドームでできるように頑張ってきます!」
ロアッソ熊本
サポーターの皆さん

「ロアッソのサポーターの方たちには今は逆にいえば、僕が札幌にいたときのような苦しみを味わさせてしまっていると思います。

それでも一緒にここから上がるしかないっていう気持ちで。

クラブもサポーターの皆さんも一体となって、絶対にもっといいクラブになっていくんだという思いで協力して、5年後10年後には、あの時があったから今こうやって楽しくサッカー観戦できるよね

って思えるようなクラブにする為に今土台をしっかり作って
頑張っていきましょう!お願いします!」

札幌でも熊本でも多くの人々に愛されてやまない岡本賢明。

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そんな岡本さんに育てられたロアッソのアカデミー出身の選手がチームで活躍する未来が楽しみでならない。


そして、岡本賢明の新たな夢でもある
札幌ドーム凱旋の日を首を長くして楽しみにしたい。


岡本賢明 夢と共に突き進め!
レッツゴー!岡本!レッツゴー!ヤス!



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