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「noteが書けない」卒業宣言

どうにも書く手が止まってしまう時、
「意味のあるものを書きたい」
と強く思ってしまってることに気が付きました。


書きたい!と思う出来事があった のに、
「どう書いたら伝わるかな、、」
を考えすぎて結局書けない。

「この出来事とあれを掛け算したらもっと伝わるかな、、」
ごちゃごちゃしてきて書けない。

「この出来事、どう書いたら日記ではなくエッセイになるだろう、、」

結局書けない。書けない、、書けない、、
もうこれ、そろそろ辞めたい。
辞めたいのに辞められないを、今度こそ辞めたい。
(あぁ、たばこ辞めるって何度も宣言しては挫折する父の気持ちが良く分かる、、)


結局まだまだ私は、
読まれないものを生み出すのも怖いんです。
「読まれない」=「良くないもの」ではないし、
読まれることが全てでないことも分かってる。

頭では分かっているんだけど、真面目なところもそのまんま。
どうしても今までのクセがまだ抜けない。

「頑張ったらできるようになるから頑張れ」
→脳内変換:読まれるものを書けるようになれ

そりゃそうなんだけど、
それで楽しむことを忘れ去って生きてきた私
私はもう「楽しんで生きていきたい」

100点取ったら褒められる、合格したら褒められる、
結果を残したら褒められる
→脳内変換:読まれるものを書いたら褒められる、読まれないものはダメってジャッジをしてる

「出来たら褒められる」
いやもうそのフェーズは要らないんです。だって結果だけが全てじゃないもん。それは甘いのかもしれないけれど、それよりも私は書くことを楽しみたい。
楽しく書いていたらこんなところに来ちゃった、、!そんなのがおまけについていたら良いな、くらいのスタンス。その方が楽しめそうじゃない?



それに、書いていかないと何も生まれない。
もちろんスキルだって上達しない。



それにです、よーーーく考えたら「書けない」って立ち止まることより、書けなくなることや残せなくなることの方が怖い。
書けない、って手が止まって周りの目も気にして、書かないと忘れてしまう日常の「あの言葉」「あの人の表情」「してもらったやさしさ」忘れちゃう方が絶対にイヤです。

何気ない日常に、探したらたくさんあるじゃないですか。それがどうして嬉しかったのか、どうしてこんなにも心が温まったのか、それを自由に書いていい場所がここにあるのに。書けないんじゃない、書かないってブレーキを踏んでるのは私自身なんです。



何事も世に放ってみないと分からない
物事に意味をつけるのは私じゃない
そして、noteの世界には読んでくれる人が
いる
(いつも読んでくださる方、本当にありがとうございます!)

だから、「書けない」を辞めます!!!(宣言)



「書けない」って思うことをゼロにするのは難しいけれど、
私はもう「書けない」って自分で自分にブレーキを踏むのはやめる。
思ったことを言葉に文章にしてみる。
だって忘れたくないから。
書くことが本当は、もっと楽しいことだって知っているから。


書いてみて上手く書けなかったら
「今度はこう書いてみようかな」それでいい。

そんな想いを宣言を、今日は書いてみました。



東京の寒さなんて東北に比べたら全然へっちゃら~なんて思ってたけど、この頃しっかり寒いです(笑)
今日もあたたかく過ごせますように◎
また書きます___✍

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