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お誕生日おめでとう と、家族の距離感

先日、おばあちゃんの誕生日だった。
私の実家であり、おばあちゃんが暮らし続けている場所は
すごくすごく山奥だ。                     

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(探したけどこの写真くらいしか出てこなかった笑)

車がないと暮らせないような山の中で、                  家の裏にはカモシカがよく歩いているし
熊ものそのそ歩いていたりする。                         おばあちゃんはずっと、そんな山奥で農業をして暮らしている。

おばあちゃんもだけれど、
おじいちゃんもすごく努力家で元気一杯。
あの二人がいくつになっても働くことに夢中で
楽しく暮らしているから、
今までの私の生活があったことも知っている。
金銭面でたくさんお世話になったらしいのだけれど、
あまり詳細は聞かされていない。

それはたぶん、父母と祖父母の間に厚い壁があるからで、
その壁は私にとって居心地が悪いものだったからだと思う。  
         

実家では、私と父母と祖父母の5人で暮らしていた。

5人で暮らしていた頃、みんなの間に入っていたのはいつも私だった。
みんなの顔色をうかがって過ごして、誰かの不満を聞いて、   
「そうだよね。」と相槌をうつ。
過度ななにかがある訳じゃなかったのだけれど          
居心地は良くなかった。
この居心地の悪さは、それぞれが大人になっても許したり歩み寄ったり
できなかったからできたものだなって今なら思う。


そんな実家とは結婚を機に離れた。
正直ほっとした。

ただ、私は実家が嫌いなわけではない。
だけど、
家族だから、必ず一緒にいなきゃいけないとは思わない。
家族だから、仲がよいのが当たり前とは思わない。
息が詰まって一緒にいるくらいなら、
離れた方が優しく過ごせるのなら、
優しくいられる距離感をもって過ごせた方がいいと思う。
だからわたしは今の距離がちょうどよい。

そして、離れてみたことでわかったことがある。          
一人一人ならいいのに集まってしまうと
上手くバランスが取れない私の家族。
そんな家族のバランスをとっていた私が居なくなったら
どうなるのだろうと最初は心配だったけれど、
それならそれでなんとかやっているらしい。                                「私がいなくなったら」なんて問題じゃないのだ。
問題を持っているのは家族一人一人、それぞれの問題だ。
問題がどこにあるのか、
それを全部自分が背負ってしまうことはしなくていい。

そんな私にも実家との接し方で決めていることがある。

それは、

誕生日には必ず「おめでとう」を伝える電話をかけること。

おめでとうの一言と、最近どう?って10分くらい話す。                   電話をかけようとする度に少し憂欝になって
「かけなくてもいいか。。」と思ってしまったりするのだけれど、
電話をかけた後は毎回「かけてよかった。」と思うことを知っているから
勇気を出してかける。

「もしもし?おばあちゃん?久しぶり、今日はお誕生日おめでとう。」
いつもこんな感じ。

最近では電話をかけると話したがる3歳の娘。
娘に電話を代わったら、

「もしもし?おたんじょうびおめでとう。」と娘が言った。

娘には、
「おばあちゃんに電話をかけるよ。」とか、
「おばあちゃんが誕生日だから電話するね。」とか一言も
言っていない。

私の電話で話す姿を見て、自分なりに考えて言ったことに驚いた。
電話越しに3歳と79歳が話している。
スマホから聞こえてくるおばあちゃんの声、楽しそうでほほえましい会話。

「いつか落ち着いたら帰るね。」と言って電話を切った。
今は帰ることが難しいご時世だけれど、
きっと次に帰るときは娘も一緒のはず。
私と実家の間に、今度は娘がいる。
そして、離れた期間で歳を重ねた大人のみんな。
きっとまた会えるときは、今までより穏やかな時間が流れると思う。

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