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生んだから育てていたあの頃の私へ

「産んだから育てていた」
そんなこと言ったら
誰か離れていってしまうんじゃないかと思って
ずっと言えなかったけれど、
娘が1歳になる辺りまで
そんな風に思って子育てをしていた。

産声を聞いたときから始まった、私の話。

娘が産まれた瞬間、
「私、本当に今日から母親になるんだ。。」と
自分の置かれた状況をうまく飲み込めなかった。
「産まれた!うれしい!かわいい!」って
当然のように感じると思っていたのに、
不安のような信じられないような感情の方が多くて、
思っていたのと丸きりちがう。

産後の入院期間も、
「目の前にわたしの産んだ子どもがいる」と
眺めるようにお世話をしていた。
自分の子どもなんだからかわいいのが当然と思っていたのに、
正直かわいいと思えなかったし、
そんなこと誰にも言えなかった。

周りのみんなは
かわいいねって言ってくれる。
だからわたしも「うん、かわいいよ。」って返す。

でも心の中では、

かわいくないわけじゃない、
だけどみんなが思うかわいいと私の思うかわいいは違う。
なんで自分の子どもなのにかわいいと思えないんだろう。
自分の愛情がないのかな、いつか かわいいと思えるのかな。
かわいいと思えない自分がひどいな
なんて思っていた。
しばらくの間「自分が産んだから」という義務感で育てていた。

今だから言えるそんな始まりは1歳頃まで続いて、
先日娘は3歳6か月を迎えた。
時間が経つのは本当にはやい。

今になって思えば
「自分の初めてについていけなかった」 と思う。
初めての授乳、夜間も数時間おきに起きる生活、
なんで泣いているのか分からない。
初めて経験する、全てが一変した生活。

産んだ瞬間から母親になるのは"環境"で、
自分の"気持ち"が「母親」にすんなりと切り替わるのかというと
そういう人もいればそうでない人もいると思う。
私は完全に後者だったから、
"自分の気持ちはいつかついてくる"と思うしかなくて、
「とにかく育てよう」 と必死に過ごしていた。

そんなこんなで娘が1歳の誕生日を迎えたとき、
初めて肩の荷が下りた記憶がある。
まだ1歳だけれど、ようやく1歳。
1歳まで育てることができた。。っていう安堵というか小さな自信というか。

娘が大きくなるにつれ
娘への"かわいい"は自分の中で変化しつつあって
今は娘がかわいいと思える。
いたずらっ子だけどね(笑)
あの頃の自分に伝えられるのなら
大丈夫だよ って伝えたい。

ただ、今だって
旦那が「娘が世界一かわいい」という
かわいいとは違うなって思っている。
旦那からは
心からかわいいと思っている と伝わってくるのに、
わたしのかわいいはそこの境地までたどり着けていない気がする。
それでも、かわいいけど、
私と旦那の違いはなんだろなって思うことはある。

これもきっとまた時間がたったら分かると思うから、
どんな想いが心の底にあったとしても、
わたしは娘が大切で、これからも大事にしたい。
これは本当だって思って日々過ごしている。

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