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2023年、そしてそれに紐づく人生を振り返る

突然押し寄せてくる波のような一年だった。
ゆっくり振り返ってみる。


体調不良からの退職

まず年が明けてすぐ、体調が悪くなった。仕事に追われ、気付いた時にはほぼ毎日頭痛がするようになっていた。整体に行っても病院に行っても症状は治らなかった。
毎週日曜日、楽しいはずのデートで涙を流していた時に「なんでこの時間のために生きてるのに、仕事のことを思い出して泣かなきゃいけないのだろう」と思い、5月に退職した。
ちょうど新卒で就職して一年が経った頃だった。

同居していた家族の目もあり、退職してすぐに仕事を探した。前職が変則的かつ人と接する仕事だったので、裏を返すように規則的かつ人との接触が少ない仕事を選んだ。
「興味があるかどうか」や「その仕事が好きかどうか」はもう言ってられないのだと思った。

結婚と引っ越しの夏

夏になると付き合って一年の恋人と共に、同居する家を探した。家族に婚前の同棲を反対されていたので、二人で結婚することにした。
仕事は単純作業で頭を使うこともなかったが、その分空いた余白を新生活や結婚の計画に充てた。家探しは案外順調に進んだが、同時進行で両親への挨拶や顔合わせなどを行わなければならなかった。慌ただしい日々ではあったが、恋人と常に話し合うことを忘れず、手を取り合って乗り越えられたと思う。

9月には晴れて新居で結婚生活を開始することとなった。両親が離婚・再婚をしていたので苗字変更には慣れたつもりでいたが、自分の好きな人の苗字になったのは今回が初めてだった。画数の少ないその名前を書くのが、私は好きだった。

実は生まれて25年間実家を出たことがなかったため、自力で生活するのも初めての試みだった。慣れない家事に慌てることを予想していたが、現実はその逆で完璧主義的な側面が出てしまい、毎日必要以上の家事に追われることになった。
丁度いい塩梅が分からずパニックになる私に、夫は手を抜く大切さを教えてくれた。
ここでようやく、自分がのんびりした性質の人間であることを思い出した。

新しい生活と自問自答の夜

秋も深まると家電や家具などが揃い、殺風景だった部屋が自分たちの落ち着く居場所へと変化していった。友人や家族などにも会う時間が増え、大人数や新しい人間関係が苦手な私は「我ながらよくやっているな」と他人事のように思っていた。
しかし新鮮な日常を送るにつれて、毎日何時間も単純作業をする現在の仕事を対比し、内容に耐えきれなくなっていた。

冷静に考えてみれば、興味のない事柄を人生の主軸に置いたことはなかった。
「今の自分は好きな人との時間と健康を第一にしている。だから興味があることに携われなくてもしょうがない。」5月に割り切ったはずの思いが割り切れていなかったことにここで気が付いた。

様々な考えが渦巻き、相変わらず夜になると泣いてしまうことが多かった。その度に夫は食事の最中でも手を止めて駆け寄ってくれた。自分のことが、自分で分からなくなっていた。

年の瀬に結びついた過去の話

年の瀬が近づき、また泣いてしまっていた時にあることに気がついた。私は一人で自分の家族に会いに行った日に決まって泣いていたのだ。
家族との価値観の違いを感じながらも、ずっと認めてもらいたかった。でも家族と話せば話すほど、大切なことから遠ざかっていく気がしていた。

精神病になった実父と離婚した母は、昔から私と兄に同じようになってほしくないと話した。だが、父親譲りの繊細さみたいなものは何年経っても消えなかった。私より勉強ができた兄が大学受験に落ちた時、母は私に「あんなに勉強しても受からないのだから、好きなことをやった方がいい」と助言した。

勉強というフィールドで戦えなかった私は、高校時代に芸術と出会い、夢中で作品を作りコンテストに応募した。実際、制作は楽しかったが芸術を手放した瞬間自分はただの人なのだという恐れのようなものが常にまとわりついていた。

やがて芸術大学に進学し、修士課程に至るまで制作や研究に夢中になっていたが、修了するとピタリとその興味が収まってしまった。自分がある程度承認欲求に基づいて作品を作っていたことがわかってしまったし、曲がりなりにも長年同じことを続けてきて満足もしていたのだ。

一方、両親は私にずっと芸術をやってほしいようだった。未だに「もう作品を作らないのか」「あんなに学費をかけたのに」と言ってきた。仕事を辞める日には「仕事を辞めることになったのは能力が低いからだ。それを自覚した方がいい。」と言われた。
私は何かをやっていて、その能力が秀でてる状態じゃないと認めてもらえないのだと悟った。

たくさんの物を与えてくれ、大学院まで進学させてもらった両親には感謝している。
でもきっとこの承認のループには終わりはなく、また傷ついて泣くだけだということに、私はようやく気付いたのだった。
そういえば実父も、「親の期待に応えようと大学や就職先を選んできたけど、もっとのんびり生きれば良かった」といつか言っていた。

夫の存在とこれからの私

結婚した夫は両親とは違う観点を持った人だった。私がパジャマで何時間もゴロゴロしている姿に「君らしさが出ている」と言ってくれる。何も作らなくても、何も成し遂げられなくても、弱さの裏にある強さを信じてくれて待っていてくれる。

彼が「自分のやりたいことには素直になった方がいい」と背中を押してくれたこともあり、今は興味がある文章執筆や動画制作に取り組み始めたところだ。今度は誰かに認めてもらうためでなく、自らの純粋な興味に根差した表現をしていきたい。

これが仕事になるかどうかは正直分からない。だが、両親軸ではなく自分軸で、消去法ではなく意思を持って人生を選んでいきたいと思っている。
その一歩が夫と共に生きていくことだったのだと今はわかる。両親とは徐々に距離を取り、夫との暮らしの中で自分の興味に素直になってみる。
それがこの怒涛の一年の終わりにもたらされた大きな気付きであり、2024年への抱負でもある。

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