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鎌倉と海と小さな人の直感

別に誰かの得になることではないと分かっていたしても、無性に書き残したくなる時がある。そんななぜは今は置いておこう。

東伏見のグラウンドに通うことがない日々に慣れきってしまったこの頃。車の免許を手にして、水を得た魚かのように、自分が自由の頂点に立っているかのように、色んな場所に時間に縛られることなく出向いた。(これからも色んな場所に足を運ぼうと誓っている。)

鎌倉。

海と山と人が本当に素晴らしい。独特な雰囲気もあり、パスポートが必要だと錯覚するほど独自のカルチャーが伝わってくる。その土地だけの時間軸があるような。

現地の人になったつもりで、海を眺めていても、はたから見ると量産型の外人なんだ。そう思うと、自然と悲しくなる。この土地に浸かりたいと更に思わせてくれる。

それだけぼくの中で、特別な「場所」になった。直感だと思う。直感は生きてきた証だと思っている。「場所」と「感覚」が交わると、そこに出会いがあり、それは運命だと思う。だから、大事にしたい。

海の話をしよう。

鎌倉の海は、自由を手にしたと錯覚したぼくを、きれいに飲み込んだ。手に入れた自由は、誰かのつくったルールの中で生きる幅を広げただけ。もっと大胆に、勇敢に生きていける気がした。そう思うと、大小さまざまな波が、これから出会う多くのことのようでワクワクする。

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余裕があることは大事。

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