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聴くべきお客さまの声、あるいは失敗と成功の予言について

昨夜、匿名掲示板に僕についての書き込みがあるとタレコミを受けて確認し、ツイッターで十数ツイートに及ぶ大反対弁論をしてしまったのだけど、よくよく考えたら匿名掲示板に書き込まれた内容にこちらが大真面目に弁明をする必要はなかったなと反省している。書き込みで指摘があったように失言は確かに失言だし、それでも僕は自分の責任で自分の名前を以って発言をする権利を行使した。それだけのことだった。時間を無駄にしてしまった。

僕が聴くべき声は曲がりなりにも僕の芝居や歌その他作品などを好いてくれている『お客さま』の声であるべきだ。

友達だからお愛想で応援するよ、という人の輪をいよいよ出ようとしている。匿名掲示板に書き込みが発生するというのはそういうことだ。
誰だか知らない人に僕の存在が知れて、好きだの嫌いだのの評価が始まったということだ。昨日の僕の対応ははっきり言って「失敗」だったけれど、傾向としてはまあ良いか悪いかで言えば良いことだと思う。

対応が失敗だったというのは、たとえば『あの店の飯にはゴキブリが混入している!』と店の前で騒いでいる輩がいたとして、店主が玄関開けて出てきて『何だと!食ったこともないくせによくも抜けぬけと!』って応戦しちゃったら、その店に普通に飯食いに来たお客さんもさすがにドン引きだよねって話です。なおこの例えは僕のオリジナルではないです。
でもその例えの通り、「普通に飯食いに来たお客さん」が存在するのはいいことだよねって話。そして飯屋の仕事が飯を出すことのように、僕も僕のやるべきことをやってお客さまの応援や期待に応えることにちゃんと時間を使うべきだった。

これも僕のオリジナルではないけど「いいお客さんの声はとても小さい」という言葉がある。とても厳しくて、黙って去って行ってしまうのが本当にいいお客さんだったんじゃないか、という話である。
長年物書きとしても歌い手としても役者としても「お友達が愛想で観てくれている」の輪の外へ行かれなかった僕には体感としてピンと来ていなかった言葉だけど、今後はその言葉を胸に刻んでおきたいと思う。

僕には僕のお客さまがいる。
僕のパーソナリティにムカつくのは勝手だけど、僕の歌や芝居や作品を待ってくれている人のために、僕は一番の時間と力を注ぎたい。
もうじき報告できることもあるし、春にはまた役者として人前に立たせていただくし、今後も僕の成功を祈ってくれる人たちのために精一杯取り組んでいこうと思う。

そう、成功は祈りだ。
失敗の予言はいくらでもできる。何故ならパーフェクト以外のすべては広義の失敗だからだ。悪口や言い訳はいくらでも出てくるけど誉め言葉やモチベーションはなかなか出てこないし保てないというのと同じで。人間はそういうものなので、その振る舞いを僕は許そうと思うけど。
でも何よりも、僕に「あなたはきっと上手くいくと思うよ」と祈りの声をかけてくれる人たちの期待に応えたい。

2023年1月の最後に奇妙な出来事が起きてしまいましたが、月も変わったことですし、改めて今後とも宮本ないし八朔ちゃんをよろしくお願いいたします。

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