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【ネタバレ有】AMP THE CLASSIC:003 Again観てきたよ

そんなわけでお久しぶりです、みやもと a.k.a. 八朔です。
5月ぶりの観劇感想です。
あくまで自分が言いたいことを言うために書いているのでネットスラング・時事ネタ・他作品(小説・映画など)への言及・細かすぎて伝わらねえ選手権などが多数発生します。ご了承いただけた方のみお読みください。
なお相変わらずツッコミが多い演目とそうでない演目で文章量違いますがご容赦いただきたく。

その前に(ただの日記パートなので読み飛ばしOK)

先日実母が「うちの叔母さんはコンサートに来てくれるけど必ず批評家みたいなことを言う尊大なところが大嫌いだった」と夕飯中にぶちまけており、心当たりがありすぎる僕は狼狽えながら適当に相槌打ってたのですが大原則として個人の感想ですと銘打っても「誰が見ても分かりやすく褒めているコメント」以外ってあんまり大っぴらに書かない方が対人関係は円滑なんだろうなあと思う今日この頃です。尊大で結構です。

「蜥蜴は尾を残す」感想

まず志村茜さんのよく通るアルト、加藤愛美さんの落ち着いた声だけど明瞭でキレッキレなツッコミ、碧月あいさんの囁くようなセクシーボイスがそれぞれフルパワーで活かされてましたね。特に最後の暗転後の部分だけ音源で販売されないですか?

物語については「瀬川美穂をぶっ壊す!~もしもN国T党首が美貌のJKレズビアンだったら~」ですよね(のっけから本気で怒られそうなやつ)(でもさっき風呂入ってたら結びついちゃったんだもん……)
どう考えたって一番フツーで一番規範に乗っかってるくせに自分こそ被害者みたいな顔して拗らせた復讐心から猿山のボスに成り上がろうとしつつ小心者で自我がなくて流されまくってて正義感だけが異様に強くて他人に支配的な奴なんか鬱陶しくて仕方ないよねー、わかるわー。もっと短く言うと弱者バット持ったノンケ女むかつくよねー。という共感が発生しました。
「かわいそうなくらい」普通の人、と言いながらその普通の人に一生モノのトラウマを背負わせたくて仕方ないの、結局「普通」つまりは社会規範への憎しみですよね。その象徴として瀬川があった。可哀そうに。その象徴をN○Kにすると※不思議なところから不思議な圧力が発生した時には消します。
話はちょっと変わるけど、「本当に対等」な人間関係って実はほとんどないよね。支配:被支配の関係がほとんどで、その関係性にそれぞれが納得しているという意味で対等なんだと思う。
瀬川って主観では圧倒的に支配してしまう人で、釣り合い取るために自らを抑圧するところがあるんだと思います。それが「怖がってる」「本心を見せない」になるんだなあと思いました。

ところで須藤の騒々しさと話題の繋がらなさと自己愛よ。
須藤って恵美の悪巧みに乗っかってるけど実は価値判断してないんですよね。須藤の中には「知識としての一般常識」があって、それに照らし合わせて恵美が狂気にあると評すことはできる。だけどその狂気を正そうとしないし、荷担もしない。そしてその狂気に触れながら、自分は善良な愚か者ですよという顔をすることが出来る。倫理観の覚束ない切れ者というのが須藤の正体ですよね。でも服装については一体どういう経緯でその組み合わせになったのかは訊かないとわからない。
そして須藤の「どっちだと思う?」が「どっち(が男役)だと思う?」みたいなニュアンスめちゃくちゃ漂ってんなあと思ったらそれが直球オチだった件。

※以下圧倒的な妄想なので読み飛ばしOK
この物語を須藤を主人公に据えて考えると「ジョン・ワトソンに出会うより早くジェームズ・モリアーティに出会ってしまったシャーロック・ホームズの物語」なんですよね……という話をしようと思ったのですが、実はBBC SHERLOCKのシーズン3で(僕は普段SHERLOCKはS2までしか存在しない世界線に住んでいるので今回だけ例外です)「実はジョン・ワトソンは最後まで道化を演じさせられておりそれを屋上から眺めてキスをするシャーロックとジム・モリアーティ」という「まさにそれ」な腐女子の妄想エンドがあったことを思い出して俺は私は※圧倒的な妄想ここまで

「花の環を手向けに」感想

フライヤーのコピー読んだときに「おっ、男らしい男の物語だな?」と思ったのですが、見事なカーブを描いて当てが外れていきましたね。でもAMPだもんねそりゃそうだよね、などと供述しており。僕の偏見に基づくと男らしい男の物語って男らしさのために女か男のどちらかが早死にするイメージがあるのですが、この作品はそんなことはないので誠実だなと思いました。この作品好きな人多いだろうなあ。
伊藤ゆかりさんですが、今回はじめてそこまでキャラが濃くない役を見た気がします。「あっ、中庭?」とか読みながら微笑んだりとかがキュートでした。そして亀山さんもそうなのですが、暗転するたびに二人が年齢を重ねていて、演劇だけど映画みたいな作品だなあと思いました。実際には二人が並んで立って手紙を読むショットが続くのですが、一緒に暮らし始めてからのシークエンスでは間取りまで目に浮かぶようでした。特に亀山さん演じる達也は徐々に知性がレベルアップしていくのが面白かったですね。「アカツメクサ」だけであんなに笑うことある?
最後の達也を見守るようなふみかが、二人のその空間が穏やかで綺麗でお伽話のようでした。いつか来る別れを含めてHappily ever afterなんだなあ……というのは次の作品でもまさしくそうでしたね。

「Ending→Replay」感想

これはねー、事情あって自分自身と物語との距離感すごーく取りづらいですねー。とりあえずしほちゃんの「自分でも今どうなってるのか、ちょっとわかってなくて」という台詞は大きく頷くところがあります。
何故男性/女性なのか? 知らねえよ! こっちが訊きてえよ! いつまで他人様の身体に居ればいいんだよ俺/私の身体はどこだよ! って、身体がプレイヤーの思う形状じゃない族はみんなそう思ってます。俗にいうトランスジェンダーですね。誰なんだろうね、この体、っていつも思うし調子悪いと鏡に映った女が自分だと認識するのに時間がかかるよね。お前は誰だ。
特にさー、社会に身体の性別で(つまりシスジェンダーとして)溶け込んで暮らしてる「身体的性別違和を有する者」なんていうのはさ、「ここはどこで、あなたは誰ですか」って問い続けるとあっという間に存在が消えるからね。「本当は自分はトランスジェンダーなんかじゃなくてただの頭がおかしくなった女なんじゃないか」って思うこともあるよね。思うこともある、というかいつかそうなるんじゃないかと毎日思う。そしてそっちの方がまだ生きやすいんじゃないか、とも。人間は動物で、プレイヤーが所持する身体に搭載された性別らしさはどうしたって機能する。それらが行動パターンを作り、考え方を作り、人格を作r待った、これ観劇感想じゃねえな? やめよう。

ところで家庭教師の方に「セクシー」がかかるということは妹メイドの時点ではセクシーではないってことなのかな。いいですね、ギャップですか。(どこを掘り下げてるのか)
決して会話が得意そうではないじゅんくんと朗らかでクッションのように会話するしほちゃんのカップルすごく好きですね。ものすごく失礼なことを言うけど、何が怖いってしほちゃんが可愛く見えてくることですよね。
そしてかなちゃんを演じてらした川村知香子さんについて、5月に引き続き拝見2回目なのですが、声の抽斗が多そうといいますか、色でいうと同じ色だけど明度や彩度が微妙に違う色を使い分けているような、テンションの張り方が場面場面で緩めたり絞ったり結構違うんですよね。なので話の展開が急転直下でした。

多分、いつかしほちゃんは消えてしまうし、しほちゃんより早くじゅんくんが死んでしまうかもしれなくて、そうなったらしほちゃんはどうするんだろう。しほちゃんが迷いながらもしほちゃんであることを選ぶ理由ってじゅんくんしかないじゃない? そうでなければじゅんくんはしほちゃんの死を恐らく人生で2回経験することになるんですよね。
でもそんな先のこと考えたってしょうがないっていうロマンチック・ラブ・ガベージコレクション発動~~~~~!!!!! 未来の悩みは未来の自分に任せよう、今の僕たちの話をしようっていう愛し愛される者たちの幸福の絶対値を大きく取るための生命力が眩しい~~~~~!!!!! そして心残り=過去の話だった「好きだよ」を現在に持ってきて終わるという結末が美しすぎる。いやガベージコレクションとか言わなきゃやってらんないって……綺麗すぎるでしょ……。

おしまい! 今回も面白かったー!

ということでこれからも楽しみにしております!
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