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推しは何を表すか、推しを何と表すか

こんばんは。宮本です。
ひとつ前の記事で俺にとって推しはクソデカ感情に袈裟固めかけて抑え込み一本勝ちするという意味の言葉だみたいな話をしてしまったので、一応それだけではないですよ、という話をします。
最初はひとつ前の記事に入れるつもりだったのですが、これだけで1000字超えてしまった上に完全に例の漫画とは関係ない話なのでこれだけ切り出しました。故にオチなしヤマなしの散文です。

神とか言うなよ、推しは人間だ、とかいうアレ

自分の話をする前に、クソデカ感情で推しに対して暴走してしまうファンを諫める言葉として語られがちなこの「推しは人間だ」という話について、ね。
いつから人類は人間に対してなら暴走しないというのが通説になってるんでしょうか。
人間に対していくらでも酷いこと出来る人間だって人間なんですよね。
なんだか強くて綺麗な言葉なのでツイッターでもよく拡散されてますけれども、改めて考えると違和感を覚えますよね。
適切な言葉は「推しは他人だ」だと思うのですが、これはこれで暴走の最中にあるファンにガソリン注ぐ結果になりそうな気もしますね。どう表したらいいのでしょうね。

私が【推し】に見出しているもの

なんでそんな話をしたかというと、私もまた便宜上推しを人間扱いしていないと言われる部類のパーソンだからです。
私の推しというのは、物語や詩をお書きになる人たちなのですが、いずれもクソデカ感情で奮起できる人や、コンスタントに活動を継続できる人です。
私はそのエネルギーに価値を見出します。
私がクソデカ感情で奮起できないタイプだという話は既にしましたが、継続も出来ません。もう完全に、どこからどう見ても怠惰極まれる人間です。
だから、なんというかその熱量が眩しくて仕方ないのですよ。
だって、ずっと物語を、詩を書き続けるということは普通に生きてて出来ることじゃないですよ。推しはなんでもないような顔してしれっとやってるけれど(たまに苦労話もしてるけど)、それは間違いなく創作に対して体温が高いとか、熱量が大きいとか、そういう心の在り方をしている人ですよ。
彼らの語り口から、その熱度の高い空気を浴びることがある。
純度の高い炎が揺れているように見える。
私はそれを眺めている。
揺れる炎がただあって、それを眺めているというのが私から見た私と推しの関係である。
蛍光灯や液晶画面の煩わしい光が届かないところで、暗闇で篝火の前に立ち尽くすように。
そんな風に推しを眺めている。
この火はいつかふっと消えるのかもしれない、と思いながら。
そしてどうか、この美しい炎が消えないでほしい、と願いながら。

完全にどうでもいいですけどカバー写真がまったく可愛くないレベルの燃え方してて草。

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