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『The Sense Of Wonder 〜センスオブワンダー〜』

Rachel Carsonという海洋生物学者、兼、作家の女性がいる。僕は存じ上げなかったが、環境に関心のある人にとっては、言わずと知れた存在なのかもしれない。もしくは、書に知識のある人にとって。
彼女は、文章を通じて自然の美しさを伝え、その自然を犯す環境破壊に一石を投じた著書『沈黙の春 ~Silent Spring~』を残した。そして、53歳という若さでこの世をさった。この書、『The Sense Of Wonder』は、彼女が残した最後の著書である。

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〜センスオブワンダーとの出会い

僕は、回転寿司屋に行くために、ある商業施設へと向かった。その商業施設には、様々なおしゃれなカフェやお食事どころが立ち並ぶ。

その4階には回転寿司屋があり、3階にはまるまるワンフロアを占拠する大御所 ブックオフ(BOOK OFF)がいらっしゃる。待ち合わせ相手との集合時間までの約10分ほどを潰すために、ふと天下のブックオフに立ち寄った。

僕にとっては、ブックオフは至高の暇つぶし場所だ。ブックオフには、偶然が詰まっている。たまったまその時に売られた本が、偶然の出会いを通じて次の人生?本生?を歩み出す。

私はそこで、アスファルトにひっそりと咲くポピーのように、本棚の隅にちょこんと隠れたこの本を見つけた。

帰る間際であったが、待ち合わせ相手が少し遅れたこともあり、違う本棚に目を移した時のことだった。本棚の隅っこで、大きな洋書と洋書の間に挟まれていた。味気ないアスファルトに咲くポピーや本棚に埋もれたこのような良書との出会いも、偶然がいつもきっかけにある。

こういう出会いがあるから、僕は時々、本漁りをする。それから、数冊の古本を大人買いとやらをして、えっへんと満足する。

本は未だに、本棚に温存中である。

神秘や不思議に目を見張る

「神秘さや不思議さに目を見張る感性=センス・オブ・ワンダー」

木々の葉の表裏は、実は少し色の濃さが違う。
淡水と海水のボーダーには、目にはっきりと映る境目ができる。
虹の麓には、絶対に辿り着けない。

自然には、こういったたくさんの美しい面や「なぜ」をかき立てるトラップが無数に仕掛けられている。

僕は、センスオブワンダーの意味を聞いて、かつて誕生日にはレゴやトミカに並んで、動植物図鑑や昆虫図鑑をおねだりしていたことを思い出す。

それを眺める度に、得体の知れないワクワクが血液の中を支配してゆく。学校から帰ると、宿題そっちのけで家の裏山に飛び出しては、泥だらけの牛蛙と共に家路に着く。そうすると、親からは悲痛なまでの叫び声をプレゼントされる。そういや、理科の先生には「質問が多すぎて、授業が進みません」と言われたこともあった。

だが、勘違いのないように伝えておくと、これは私の仕業ではない。私の血液を支配しようとする何かのせいである。おそらく、本を開いた時に飛び出してきた、あいつのせいだろう。

まあ、あいつのことは放っておく。

こうして、幼少期には好奇心が故に、迷惑をかけてきた。だが、そういった「なぜ」を追いかけた経験をすることで、気付けば「この木にはこの辺りでは珍しいアブラゼミが頻繁にとまっている」だとか、「春が来る少し前に、この小屋の軒下に来れば、カマキリの卵がある」とかいう、どこで役に立つかはわからない知識の獲得につながる。

きっと、大切なのはこの知識が役に立つかどうかではない。

「なぜ」を追いかけた末に、知識が1つ増えたという体験をしていることなのだと思う。

つまりは、親からの悲痛な叫び声を得る術をひとつ増やせたということだ。そして、彼らの叫び声は、いつか歓喜の声に変わるかもしれない。

私は、コンクリートに凛と咲くポピーに勇気をもらうごとく、偶然出会ったこの本に勇気をもらった。ポピーやこうした良書との出会いは、なぜだか、自分が疲れているだとか少しネガティブになりかけた時にやってくる。

「なぜだろう」

ただ、この問いに関しては、答えを知らない方がいいのかもしれないとも思う。それは、人間が存在してきた歴史的な時間では、あまりにも考えるに足りないほど時間がかかる問いであるためだ。ましてや、20年ほどしか生きていない私には、パズルのピースひとつも見つけられないだろう。

私は、この本を読んで改めて思う。

いつまでも、子どもと一緒に自然を愛でて、虫を追いかけるような自分でいたい。そして、そこに恥じを覚えないような人間でありたい。そして同時に、子どもがそうできないような未来を迎えないためにも、自分にできることは何かを考え直す必要があると、今ここに強く思う。


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