Webライター遥つくね参上!!
めちゃくちゃ勝手な想像なのだが、Webライターさんと聞くと、30代半ばの、スッキリした色白の小顔持つ、知的な笑顔の、スーツやワンピースが似合う、都会的な、デキる女性、というイメージを勝手に膨らませてしまう。
アイコンで顔出ししてらっしゃる方たちからそういう素敵な印象を受けるし、似顔絵アイコンからもそんなふうに感じる・・・・・・。
いや、先入観ありすぎるのかもだが😅。
で、そんな勝手なライター像からすると、当然ながら自分は遠すぎる存在。
田舎者丸出しで、いつもオロオロと落ち着かず、自信のない挙動不審の、小太りな50代のおばちゃん。
もう、それを考えただけで、気後れしまくる。
ライティングの土俵に上がる前から、自分で勝手に作り上げたライター像に、激しく敗北しているのだ。
昔、友人が東京でデザイナーをしていた。
デザイナーやイラストレーターはわたしにとって憧れの職業のひとつだったが、親の反対でそっちの道へは進めず、普通に大学へ潜り込んだ。
イラスト、というより絵そのものが、義務教育の美術の授業を受けたっきり、というわたしには、イラストレーターだのデザイナーだのへの道など、遠く手の届かないものだった。
ところが、二十代半ばで初めて出会ったその友人は、高校を出て単身上京、デザイナー募集と書かれていた小さな会社の戸を、いきなり何食わぬ顔で叩いたのだそうだ。
デザイナー募集に応募しにきました、と。
嘘やハッタリではなく、彼女は本当にゼロからでもデザイナーを名乗っていいと思っていたのだ。
わたしと出会った二十代半ばの頃ですら、彼女は若き日の自分のその大胆な行動に、全く疑問は持っていなかった。そればかりか、なんなら当時、彼女は心理学だかスピリチュアルだかの本を一、二冊読み、自分は心理学をやっている・・・・・・とどこへ行っても語ってしまえる強心臓の持ち主だった。
わたしも大学で1年間、一般教養の単位の都合で心理学は学んだが、「心理学を修めた」とは口が裂けても言えない。
彼女が読んだ本は、タイトルに心理学という文字が入ってはいたが、よく言えばカウンセリング、有体に言うなら性格診断のような本で、とても「心理学のテキスト」とは言えない代物だったが、彼女は固くそう信じていた。
同人誌で漫画や小説をかく時に、堂々と有名な脚本家の方に取材を申し入れたこともある。
小心者のわたしには驚くようなことばかりだった。
彼女だけではない。
いくつかのセミナーに数ヶ月ずつ通っては、その都度新しい肩書きで自宅サロンなどを開く知人もいる。
わたしなど、資格や免許をとっても、名乗る度胸がないまま、いつも何の役にも立てずに終わってしまうというのに。
わたしは決して彼女たちを非難しようというのではない。
ただただ、羨ましいのだ。
彼女たちのそうした積極的で大胆な行動は、大抵の場合、少なからず良い方向へ転がる。
当初未熟であったはずの彼女たちは、いつのまにか肩書きに見合った人間へと成長するのだ。
肩書きが、人間をそれらしく作っていく、と言っていい。
無論、本人たちの努力あってのことだ。
怖いもの知らずに名乗った肩書きに、押しつぶされそうになることもあったのではないだろうか。
それでも彼女たちはまけない。
分不相応だった、なんて後悔はしないのだ。
だって、彼女たちは心底プロなのだから。
無知は罪だなんて言うこともあるが、無知こそ最強な場合もあるのだ。
40代、50代、と、わたしも少しずつ図太くなってきた。
今回、Webライターとなるにあたって、わたしは呆れるほど何の準備もしなかった。
Webライターの定義も知らず、仕事の内容も、仕事の取り方も知らなかった。
周囲は年配ばかりで、Webライターなんてわたし以上に知らない。
尋ねる相手もいない、勉強の仕方もわからない、ただ文を書くのが好きなだけ。
それが不意に思い立って、Webライターしよう!となった。
善は急げで、たまたこのnoteで見かけたクラウドソーシングに登録し、ダメ元で提案文を送りつけた。
無論、提案文の書き方も見よう見まねだ。
書き記すべき実績もない、なんとも寂しい自己紹介くらいしか書くことがない。
それでも、自分にしては大胆だ。
詳細な依頼内容もわからない、書けるかどうかもあやふやな案件に、いちかばちかで応募していったのだから。
得意なジャンルと言ったって、動物や歴史や文化に専門的な知識があるわけでもない。
わたしの頭の中には、アウトプットできるほどの知識などないのだ。
でも、構成文だのキーワードだのを頼りに、ネット上でリサーチとやらをすれば、どうやらなんとかなるらしいと、なぜだか妙な余裕があったのだ。
決して自信ではない。
自信の根拠となるものなど一つもないのだから。
年寄りの、度胸というか、恐れへの鈍さ、といったものが、まあどうにかなるだろう、という気にさせてくれた。
Webライターです、と名乗ってしまえば、実力は後から肩書きに追いついてくるものだと、社会人としての30年で学んだ。
甘く見ているというのではない。
決してナメているわけではないのだ。
でも、肩書きを名乗って一歩踏み出すことでしか、実現できないこともある。
名乗った以上はたとえ駆け出しでもプロだから、受けた仕事はなんとしても完遂する。
依頼内容がさっぱりわからなくても、尋ねる相手もいない。自分で調べるしかない。
受注してみないことには依頼の内容はわからないのだから、受注してからのぶっつけ本番だ。
怖くないといえば嘘になる。
先方に何か大きな迷惑をかければ、それでもうこの道も閉ざされるのかもしれない。
それでも、不思議と指は勝手に動いて、案件に応募してしまうのだ。
面白いもので、やってみればなんとかなる。
もちろん難しそうな案件には手を出していないせいもあるが。
受注して初めて、Googleドキュメントやらスプレッドシートやらの存在も知った。
ひとつずつツールを覚えていければ次からは怖がらずに応募できる。
その積み重ねしかないんだよなあと、しみじみ思う。
クオリティはまあ、数をこなすしかないだろう。
だから、思う。
「名乗ってしまおう」と。
ずっと、どうしようか迷っていた。
仕事を探すときは当然Webライターとして応募するのだが、ほかの場面でなかなかWebライターとは名乗れずにきた。
でも、どこまでいっても多分、自信満々で名乗れる日などこない気がする。
だったら、もう今名乗ってしまう。
そう決心した。
「わたしは、Webライターです。」
照れくさいけれど。
わたしなんて、全然Webライターらしくないけれど。
それでも。
―――身の引き締まる思いがする。
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