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犬の生活1: 卵

強い雨が迫っている夕暮れだったので、匂いが濃く立った。それで犬は余計に夢中になって、道端の雑草を嗅いで歩いた。犬の頭の中には、近所の犬大体六十頭余りのデータベースが整っていたけれど、それを誰に知らせるというようなこともなかった。ある箇所に行くと犬Aの匂いが濃くし、別の小道に行くと必ず犬Cの匂いがした。そういうことを確かめてきちんと自分の匂いをつけるうちにどんどんと、これで良いと思うような気持ちが犬の裡に湧いた。時折運が良いと、もっと濃い、狸の匂いがした。

小川の道沿いを歩くうちに雨足が強くなってきた。人間の男が何かを言った。なんとなく早く帰ろうと人間の女に促しているような気持がしたが、犬は、それならば仕事を早くせねばならないと余計真剣になった。家に向かう途中、自分の斜め後ろの方から匂いが立った。それで黙って人間の顔を見てその場所に戻るように合図を送った。人間の男が元の道を少し戻ってくれた。女が笑った。自分が犬として、その箇所を取り落さなかったことについて、笑っているようだった。

家に帰っていつものソファで寝、しばらくすると「…」というような女の声が聴こえた。それは三音の言葉で、聴こえた瞬間に急いで台所に行くと大抵「…」を薄く切ったのをくれた。それは生まれようとして産み落とされたのに、途中で孵化することのなかった鳥の味がした。人間の女が「血」というようなことを言い「ぢどり」と言った。

卵に血が混じっているけれど、地鶏だから大丈夫だよね

男がうむと言った。犬は地鶏は知らなかった。それよりも血と卵ということで、真剣な気持ちで台所に行き、左後ろ足を伸ばして壁に背を付けて座った。

人間の女が卵を溶いた後のカップを床に置いてくれたのでそれっと思って、カップを舐めた。少しの血の匂いと管理された生き物の味がした。

* クロノツカヤさんの写真をお借りしました。