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CD⑤ 四つ竹を鳴らしながら

レコーディングの3日前に 西舞子のこずみっくで「ポー❤️ポー」で出演するライブがあったので
まずその日に向けて「小浜節」を練習した。

朝霧駅であっこさんと待ち合わせして 大蔵海岸で三線と笛で民謡の練習をしていると
いろいろな方が声をかけてくれたり
故郷が沖縄だという方や奄美大島だという方は うれしそうにして一緒に歌ってくださった。
全く知らない人同士が
私たちの唄で ともだちになった。

「小浜節」は限られた時間の中で集中して練習した勢いのまま いい感じに仕上がってきていたので、レコーディングまであと3日だけど。
この曲をCDに収録したいと、 初めてあっこさんに話した。

ライブ当日。

ものすご〜く真剣に集中して
いい唄になった。

と 思っていた。

が。

家に帰って動画で振り返ると 無駄な力だらけで 必死さばかりが伝わる「小浜節」だった。
歌がそういうわけだから もちろん笛もそういうわけで
あっこさんも私も 達成感と充実感が 
ガラガラガラ〜ばりん と音を立てて崩れた。

こういうんじゃ無いんだなぁ・・・

あと3日で何ができるんだろう。
私の歌は変わるだろうか?

原点にかえってみよう。
小浜節をよく歌っていた頃のことを思い出そう。
八重山の歌を教えてくれた 大山泰則先生のことや
応援してくれた石井静枝先生のことを思い出しながら。

あれ?

私「小浜節」は唄ってないということを思い出した。
大山先生と「小浜節」の三線のお稽古もしてないことを思い出した。

「小浜節」は 唄三線より舞踊曲として 踊り手として多く馴染んできた歌だった。
いつも四つ竹を鳴らして
歌いながら踊っていた。

私に八重山の踊りを教えてくれた竹富生まれの ちとよさんは
「照美ちゃん 唄は踊り。 踊りは唄。 唄いながら踊るのよ。」
と言って
1、2、3のカウントでは教えなかった。

それで思いついた。
レコーディングの時は クリックの代わりに四つ竹を鳴らしながら録音しよう。

そして
踊りながら唄ってみよう。
踊りながら歌ったら力めないし。

踊りながら歌の録音をする私を モニターで見ていて

テルさんも あっこさんも 奥田さんも はるちゃんも
誰もその時は何も聴かず見守ってくれた。

わたしの「小浜節」が生まれた。



あっこさんはこの日BOOが小浜島の竹林で竹を刈ってきて、BOOが作った横笛で私の「小浜節」をふいてくれた。

後日、テルさんが
レコーディングの小浜節はよかったと褒めてくれた。

今だからいうけど、
ライブで小浜節を歌ってる時、眉間に皺が寄っていて
とてもこわい顔をしてたから 客席からおでこに手を当てて合図を送ってたの気づいた?
と話してくれた。

もちろん必死すぎて気づかなかった。

もう1曲の沖縄民謡は
この写真の端っこに写っている 三線の兄弟子が
当時22歳の私に合うと思うよと紹介してくれた歌を歌うことにした。



長年書き綴ってきたブログがあります
いろいろ考えて
今後は noteに移行していこうかなと思って試行錯誤中です。

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