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平等とは - 「交際はできないけど、一緒にビール飲みたいね」

近くの公園でシニアなおじちゃんおばちゃんがワイワイしている日があった。その時、元気なおじちゃんが冗談っぽく、

おじ「あれ、あんたオンナだったのか?(笑)」
おば「失礼ねー!(笑)」

と話しているのが聞こえた。

聞いた瞬間、「うわ、性別のネタでイジるなんて、SNSでやったら炎上案件だなぁ」とか思ってしまったのだけど、その自分の思考が短絡的なことに、すこしたってから気づいた。

私は大学生時代、オランダに1年だけ住んでいたことがある。オランダは同性婚が世界で最初に認められた国で、同性愛者も多い。

その時大学の友達(男性)に「オランダってゲイの人多いんだよね。交際を求められたらあなたはどう答えるの?」と(今思うと)小学生みたいな質問したことがある。

そしたら、彼は

「うーん、交際はできないけど、一緒にビール飲みたいね」

と、答えた。

もう10年近く前のことだけど、今も鮮明に覚えてる。かっこいいな、大人だなと思ったのと同時に、ひどく自分が子供に見えた。

差別をしない、というのは、「その問題に触れない」という意味ではそもそも無いはず。だけど今の世の中、何が差別かわからなくなったりすることもあって、

「同僚の女性の髪型がステキになったことに気づいてもそれを言うと嫌がられてしまうのかも」

とか意味不明な防御態勢(つまり何も言わない/しない)をとったりする。

そんなことしてると結局一生、自分とは違う人との溝は埋められない気がする。触れないと、相手を理解することもできない。つまり、根本的には「違うもの」として差別した状態から抜けていない。

冒頭の「性差の関わる話題を一切出さないほうが良い」と考えた自分は多分、相手を理解する努力も怠っていた気がする。

だけど前述の彼は、自分と違う人とどう仲良くなるか、ということを考えている。積極的に相手を理解することが当たり前に身についてるんだなと思った。

人間関係に関わらず、新しいもの/自分と違うことをを受け入れられない、というのは何か新しいモノを作る仕事につくうえで致命的だと思う。

もちろん、自分の考えや感じ方と、他者のそれは違うかもしれないし、それはいつでも怖い。叩かれたくないし、嫌われたくないし。

だけど、明日からはもう少し「自分がされて嬉しいことは、自分と違う人でも喜ぶかも..?」という大胆な憶測のもとで動いても良いかもしれないと、オランダの彼を思い出しながら、考えたのでした。

cover photo by Tim Bieler from Unsplash
(オランダでよく見るレインボーフラッグ。最初に見たときと、今見るのでは、見え方も違う。)

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