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まなざしを贈る

 絵を描くにはどうしたらいいか聞くと美術教師はそれではまず描きたいものを見つけるところから始めましょうと言った。それが私の問いその一。私は何を描きたいのだろう。そして問いその二が立ち上がる。私は何を見て生きているのだろう。私は改めて絵を描くぞという気持ちで周囲を見渡してみる。可愛らしい女の子、遠くの山、室内プール、ゲレンデと化したグラウンド、寒々しい廊下、書類とパソコンと労働者が押し込められた窮屈な事務所、人の良いおじさん、太った青年、加湿器、路面凍結した中庭、滑る子供達、一日一笑いを提供してくれる同僚と、とても優しい司書の先生。そうだ、マザーテレサのような、ガウタマ・シッダールタのような司書の先生を描くのはどうだろう。初詣に行くといつも世界平和を願う先生に、世界の一員として私からも幸せを願わせてほしい。先生を描いて先生の最終出勤日にプレゼントしようかとまるで子供みたいなことを考えたけれど、先生のことを思い出していたら、先生が見ている世界を描いてみたくなった。だけど他人の目に映る景色なんて描けるわけない。見ることの出来ないものを描くにはどうすれば? それが私の問いその三。
 そこまで問いを積み重ねると窓の外に雪がちらつき出したのと同時に解答が降ってきた。だから絵を描くんだと。写真ではなく絵が必要なのは誰しもが自分の目でしか世界を見ることが出来ないから。それなのに他人の見ているものを見てみたくなるから。自分の枠を超えて、世界を味わいたいと願うから。他人に憧れを抱くから。
 私はいつも優しい先生を見ている。別れの日には私の目から見た先生を渡そう。私には先生の見ている景色は描けないが、先生が見られない景色を描くことが出来るから。

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