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自分のめんどくささみたいなものを好いてみようの話


文章にできるかな。謎。
たくさんの不安で成り立つそれをちょっとばかしまとめてみようじゃないか。


本を、最近読むことをまた始めた。

なぜってやっぱり、本を読む人は魅力的に見えることが多い、私にとって。
教養が増えていく感じとか、色んな視点が増えて世界が広がるような。

畑みたいに耕して、


本を読むことを避けたのは
溢れんばかりの思いを切り離して読み進むことが苦手になってしまったのもあり、
すでに誰かの手によって立体化されていたら、少しばかりはそれを遮断できたのもあり。


お芝居をしたり
芸能のお仕事をしていると
感受性が強い人に出会うことが多くて、
自分が全く特別なんかじゃないことを再確認できて、努力をし続けることができたり。
人生うまくできているのねえ。

業をわざわざ背負わなくても、自分の意味くらい見つけてやるんだから。

英語を勉強しよう。分かりやすい実力として蓄えてみたい、それに、語彙が増えたら、あの時のこの感覚も何もかも表現できるかもしれない。

そういう毎日がどんどん過ぎていって、
日本語の綺麗さに気づいて、
ドイツ語もスペイン語も、他の言語も、ただただ言葉が話せたらなにかのもどかしさが、
大事な人を傷つける回数が減ってくれるかもしれない。


時々、ときどき
何かがプチっとしそうになって
芸術は爆発だ、って言葉もあるしね、って母に言われて我に返ったり。
そういうのを咄嗟に出せるかどうかってすごい。

身体やメンタルを鍛えればこういうことはなくなると思っていたけど、心はそんな単純なものじゃないらしい。甘くみていたよ心さん。

生きている中で、人やものごとからの刺激を無自覚に浴び続けて、人間としての己を保てなくなりそうな時、

世の中そういうことに苦労するのは私だけじゃないと知っているだけで
この感覚を恐れずに軌道修正できるようにできているみたい。


抽象的な文章でしか書けない、だけど、
文の才がなくても、図書館にある本を片っ端から読んでいけばきっとそんなことを教えてくれていた作者はたくさんいるはずで。

ミュージシャンはこういう無性に生まれてくる感覚や、目に見えぬ傷を歌詞におこすのがとても正確。


例えば、、と、私も何かうまくまとめたくて、
記憶の中にあった映画の一部で書いてみようと思って調べたけれど、少し違った。

身体の中に一回それが湧き上がってしまったら、ありとあらゆる方法で人は無意識に止めているのかもしれないね。何かの中毒は、それを、止めようとした方法の一つに過ぎないのかもしれない。でも、だめ、きっともっと健全な方法が世の中にはたくさんあるはず。


さて、生きているうちに、せめて自分の見えている世界の真理には近づけたらいいなとか、私の好きな人たちの、嫌いな人たちの、見えてる世界にも真理があって、交わることもあれば、永遠に違うところにいるものもあるのかな。科学的知識には疎いから、感傷的で歯痒いな。



犬が、そばにいてよかったと思います、
でなきゃ四六時中こんなことばかり考えてしまうから、
ルルが散歩して草の匂いを嗅いで幸せだと思うそんな日があってよかったなぁと思います。


この子を守らなきゃダメよ、と、母は私に言うのでした。

母親は宇宙みたいだと誰か言ってなかった?
こんなことなら科学をもっと勉強しときゃぁよかったな。

頭のいい人なら私のぐるぐるを一瞬にして言葉にしてくれるのだろうか。

どうかその人たちが発する言葉と、私の知ってる言葉に繋がる絵が一緒であったらいいのにな、なんて。


人生長いよ。
どうかお手柔らかにお願いしたいです。

穏やかに。


次回はいつもの感じでいきますのでどうか安心してね。🐶


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