日帰りで東京に行った話

昨日、母と二人、日帰り東京旅へ行ってきた。旅、というには少し目的地が少なすぎるか。というのも、好きなアイドルグループであるNEWSのポップアップストア『NEWSpace』に行くために東京の大都会へ出てきたのである。それが開催されているのはラフォーレ原宿。あまり知識のない私も名前は知っているほどの有名な建物だ。、事前に調べたところによると服屋さんやおしゃれな店がある建物であるらしい。とは言っても名前を知っているだけ、入っている店の名前をざっと見ただけなので(少し)田舎者の私はウキウキしながら名古屋駅で新幹線に乗り込む。名古屋駅で買った鮭の入っている駅弁は毎回買っているものだがとても美味しい。「こぼれイクラととろサーモンハラス焼き弁当」というものだ。おすすめである。

さて、新幹線では特筆すべき出来事はほとんどなかったので次へ進む。私は母と共に品川で降車しすぐ原宿へ向かった。なぜかというと私がすでに疲れていたためで、座ることのできるカフェを探していたのだ。原宿駅はちょうど十年前に来た時とは様変わりしていた。大きく新しくなり、十年前「観光地である原宿の駅なのになんでこんなに小さいんだろう」と不思議に思っていた私の感情は正しかったのかもしれない。

地図に従って道を進んでいくとラフォーレ原宿に着いたが、集合時間の1時間半ほど前だったので安心して向かいのスタバに入ることができた。多少混雑していたが二人用の席が二つほど空いていてその一つに腰掛けた。この時点で私は視覚、嗅覚、聴覚からの刺激によりすでにかなり疲れていて、ドリンクの購入は母に任せ少し目を瞑った。店員さんがやり手だったのか、想像していたよりもかなり早く母が席に帰ってきた。私は相変わらずコーヒーが飲めないので「カフェモカのベンティ」を頼んだ。憧れの一つだった「東京のスタバ」で時間を潰していると、早速「NEWSpace」の紙袋を持った人が数人入ってきて気分がふわりと上がる。雑音のような喋り声で楽しそうに喋るその人たちの会話は耳に入ってこなかったが、それもまた今から行く場所の内容を悟らせず私を興奮させた。結局「東京のスタバ」は私を休憩はさせなかったが楽しみへの良い助走をさせてくれた。この店に入った時よりも出た時の方が胸の高鳴りを感じたのがその証拠である。

ラフォーレ原宿に入った時にはちょうど良い時間で、トイレに行ったりしていたらもう入場できる時間になっていた。「NEWSpace」の内容自体はこの文章で書くのは控えるが、とても充実した時間だった。NEWSのメンバーである三人ともの魅力を感じたりもしながら、ここにきた人のために三人が考えたものの中にいるという事実が私を幸せにさせた。そのせいか、おかげか。母によると私は本当に幸せそうな顔をしていたらしい。確かに建物から出て原宿駅で見た自分の顔はすごい顔をしていた。グッズなどを購入できるエリアではすでに持っていたり注文していたりするグッズを購入してしまったが後悔はしていない。グッズがとても魅力的に見えてしまったのだ。仕方ない。

原宿から東京駅に行ってもんじゃでも食べようかとも考えたが私自身の疲労がとてつもなく、それに加えて名古屋駅でラーメンを食べたいと考えていたためその案は私自身に却下された。品川から新幹線に乗ったが、その最中は行きのそれとは違い、長時間暇だったのではなく一瞬で名古屋に着いてしまったような感覚だった。きっと疲れだが、新幹線の暇な時間を使ってほんの少しでも回復させてくれた自分の体と脳みそに感謝である。

名古屋駅に着いて一風堂で博多ラーメンを食べた。とても美味しく、替え玉もしたが替え玉一つで満腹になった。替え玉を二回はするつもりだったが、これは痩せていく前兆だろうか。そう期待したい。

東京に日帰りで行ったのは記憶が正しければ二十年の人生で初めてだった。前回原宿に行った十年前はNEWSの十周年を記念した東京ドームでのライブを観に東京に来た時だった。東京タワーの前のホテルに泊まった日で、ライブの前に竹下通りに行ってみたいと原宿に来て都会の情報量に押されてすぐホテルへ向かった。その日東京ドームの上の方から見たNEWSは輝いていて、十歳の私は人生三回目のNEWSのライブだったが今までと同じように大興奮で会場を出た。早生まれの私はその時に人生で一番2003年に生まれたことを喜んだ。そこから十年。あと数週間で私はNEWS二十周年のライブを観にいく。その時はまたきっと文章を書くだろう。この十年、いろいろな挫折があった。さまざまなことをやめた。大好きなサッカーをやめ、サッカー選手になれなくてもいい大学に行って…と考えていた十年前の私は、その後発達障害が見つかり、何もうまくいかなくて無職になった今の私を見て何を思うだろうか。しかし、変わらずNEWSを応援している私を見たら笑ってくれるだろうか。次の十年間どう過ごすのかわかるわけがない。こんな十年の変化を体感した私は何も想像できないが、十年後、変わらずNEWSを応援し、変わらず救われていたらいいなと思ってしまう。この十年、たくさんの目まぐるしい変化の中のそんなたった一つ不変の感情が私の拠り所だったから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?