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子どもとの不毛なやりとりを考えていたらプログラミングにたどり着いた。

最近気づいたことがあります。

子どもとのやりとり。パターン化されているのでは説。

だいたい同じ地雷を踏んでしまい、同じ言葉で応戦し、いつもと同じ言葉で反論。その不毛なやりとりが何回も何回も行われるのです。あれ?また同じことで言い合ってるって気づいても、最後までとまらないんですよね。

人間の行動は6割が習慣(くせ)でできている。

なにかの番組でこう言っていたのを聞いたことがあります。それを聞いて妙に納得したと同時に、6割ではなく9割近くがそうなのではないかと思いました。

よくよく考えると、私の生活はほぼ何も考えなくていいほど習慣化されています。言い換えれば、選択することがないほど日々を変化なく過ごせているのかもしれません。

みなさんはどうでしょうか。かなりのところがパターン化されていませんか?

朝起きる。起きてからトイレに行ってそのまま洗濯機を回す・・・仕事に行ってタスクをこなす。帰ってご飯作って子どもの送迎して・・・。

そして驚いたことに、家族との会話はパターン化されているのです。話題は違っても、やりとりがなんとなく一緒。

人間は同じことの繰り返しが安心する。

同じって安心します。同じところに物があれば探さなくていいし、急に欲しい時にすぐ手に取れる。同じ順番で物事が進む方が、次なにをすればよいかわかるから安心できる。

突然の変化には少しばかりのエネルギーを使います。人によっては対応できずオロオロしてしまいます。それが一日に何回もあるととても疲れるのです。

だからパターン化されているのは、ある意味とても過ごしやすいことにはなります。ただ、変化を好んで楽しめる人もいるので、人により行動の習慣化されている割合は違うかもしれません。

9割ってどれくらい?

24時間×0.9=21.6時間

1日なんらかの行動をしていると考えて、おおよそ22時間がパターン化されている。逆に2時間がいつもと違う行動や選択をしている。

この数字化が正しいかどうかはわかりませんが、2時間以上のいつもと違う行動をしている自信がありません。私に関しては、9割くらいが習慣化されていることのように思えてきました。

とは言っても、やはりこどもとの不毛なやりとりはなくしたい。どうせなら心地の良いゴールになるようなパターンがいいなと思います。

9割が習慣化されている私は、とても心地よく過ごしていたのですが、一旦そのパターンを修正しなければいけないなぁ、なんて思っています。

どこをどこからいじるべきか。もう少し考えていかなければいけません。

??

なんかプログラミングみたいですね。簡単に書き換えれるといいのだけど。。

ロボットじゃないのにね。


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