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接続のプラクティスについて

本稿は、2022年11月に行われた「延岡アーティスト・イン・レジデンス2022」ドキュメント(2023年6月発行)に掲載した自作についてのテクストである。
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接続のプラクティスについての散文

 僕は今、延岡アーティスト・イン・レジデンスのドキュメントのための文章を書いているが、レジデンスから少し時間が経ってしまったため、ある程度回想録のような形の文章となる。ちなみに今いる場所は金沢。温暖で日照率の高い宮崎県とは気候の差が天と地ほどの差があり、暖かかった九州での日々を思い出しながら生活している。(今、外は氷点下だし、この前の寒波では給湯器が停止した。)

 2週間の延岡滞在に際し、《接続のプラクティス》というインスタレーションを制作した。在住している北陸・金沢と、レジデンス会場である九州・延岡の850kmの道のりを、作品によって繋ぐことが本作の主旨だった。主題としては山を扱った。長距離の旅行でいつも感じることだが、日本は本当に山と山が連なって途切れることがないように思う。(一日10時間以上の鉄道の旅を数か月に一度する。その間車窓の景色を延々と手帳に描き続けるのがライフワークだ。)その連なる山々を描き続けることで自分が立っている場所、あるいは自分の属する「日本」画-「日本画」を編み直せるのではないかと考えて九州での日々を過ごしていた。

 自分の立っている場所について考えることは、僕の思考において根幹をなしている様に思う。進むべき方向を見定め、一歩を踏み出すためには、まずは自分の足元を見つめる必要がある。 それは、なぜ・どのように制作するかという問題、つまりは必然性に繋がってくる。例えば普遍の真理を求め続けた西洋哲学において、ハイデガー「存在と時間」に端をなす認識論から存在論への転回。ハイデガーはデカルト以降自明とされていた起点である、”知覚する私”(現存在)を定義づけすることによって世界との関わりをラディカルに提示した。僕のハイデガーへの政治的な好悪は置いとくとして、僕が《接続のプラクティス》で試みたことはだいたいその様なことだった。起点としての”ここ”―現在地―から世界との関係を紡いでいくこと。

 移動中、そして延岡でも描き続けた山の話に戻ろう。日本は環太平洋造山帯に位置し、その国土面積の60%が山地によって占められている。場所と場所が山によって繋げられているとしたときに、それを描き続けることは場所と場所を繋ぐこと、ひいては現在地を作ることに繋がるのではないかと考えた。僕が移動の際にいつも車窓の風景を描き続けていることは前述の通りだ。このドローイングが延岡での制作に直接繋がることとなる。普段僕は鈍行列車で旅をしているが、今回は新幹線での移動であった。(土井さんのご厚意である)新幹線での移動は普段の車窓とは違い、時速300kmで過ぎ去っていく風景は具象的な形態から抽象的な要素へと変化していくように感じた。

 ここからは、山から山水―「日本画」―に繋げてみたい。そう、最後に「日本画」に対する僕の気持ちを少し記して終わることとする。僕が自分の作品でクラフト紙を使う理由は「日本画」へのアンチテーゼでもあった。作家のスタイルにもよるが、いわゆる「日本画」では本紙に突然描き始めることはしない。素描、小下図(小サイズの完成図)、大下図(原寸大の草稿。これを転写することで本紙の下書きとなる。)を通してやっと本紙制作となる。大下図で一般的に使われるのがクラフト紙だ。和紙と同じ紙であるのに関わらず制作においては副次的なものとされている。一次的な衝動から生まれた線は大下図で現れるのに関わらず、それが本紙に対して従属してしまうこと。この違和感から、敢えて従属的な素材とされる☆クラフト紙を、自分の制作においては中心に据えていた。和紙に日本画材と言われる材料で描けば日本画なのか?なぜ素材にヒエラルキーが発生するのか?今でもこの違和感は拭えていないし、その違和感はそのまま「日本画」構造への不信感にも繋がっている。現在地を探るのと同じように、僕は自分の手と頭で日本画というものについて考えてみたいと考えている。山―山水―を扱うことについても安易な趣味性、もしくは"伝統"に回収されないか。常に付きまとうこの不安への回答を今は留め置くとして、もう少しこの(おそらく答えがないであろう)問いに向き合ってみたいと思う。 

 僕にとっての制作のプライマリーな目的は、思考を自身に定着させることである。この延岡滞在の前後ですこしだけ自分が変化してくれたことを感じている。また来年、今回とは違う視野をもって延岡を訪れたい。


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