パズル 3 プロローグ

アインシュタイン・ロマン   二〇一〇年


二〇一〇年十月、アメリカの物理学者、アルメール博士による『潜在意識調和理論』という書籍が出版され、一部の間でちょっとした議論を巻き起こした。その評は賛否両論まっぷたつに分かれた。

題名のみで判断すると、それは心理学の専門書のようであり、──実際にユングやフロイトの考え方にも触れられているが──、量子力学にも触れた地球物理学の論文だった。

「彼の理論は空想にすぎず、何も立証もしていない。理論と呼ぶことすら疑問だ。それは哲学とも呼びがたい単なるSFに過ぎない」

「発想力はとても面白く、ミステリーとして読むのなら大変興味深いものがある。仮説なくして科学的探求はできないが、彼の理論──空想と言った方が正確か──は、立証されていない仮説の組み合わせに過ぎない。立証されていない仮説をいくら掛け合わせても事実の証明に至ることはあり得ない。ゼロにゼロを掛け合わせるようなものである」

「いたずらに混乱を招くおそれのある書物だ。彼は本人のみならず物理学者、そして大学教授という地位をも落としめた」

「一部評価できる箇所もあるが、専門外の分野にまで口を出し過ぎている。素人が基礎的な知識を持たずに勝手な解釈と想像をしているようなものだ」

彼に対する非難、酷評は、彼の理論を支持する者が出るほどに激しくなっていった。

「アインシュタインが考察したすべての理論と『ひも理論』を見事に融合させ、未解決であった問題を解く重要なヒントを与えてくれた」

「今まで立証されていなかったさまざまな現象が、彼の理論によってひとつにつながり一気に氷解した。潜在意識調和理論は宇宙のしくみを解き明かす鍵になる。彼こそ現代のアインシュタイン、いやそれ以上かもしれない」

発行部数わずか千部の専門書がこれほど議論を呼ぶことは珍しいことだったが、残念ながらその後増刷されることもなく人々の記憶から消えていった。
『潜在意識調和理論』は、物理学関係者の間に、アルメール博士は非科学的な変わり者の学者であるという印象をさらに強く刻み込んだだけだったかのように思われた。

いつの時代でも少数意見が世の中に受け入れられるには長い時間を要するものである。人々は自分と異なる考え方に対し、こう評価する。

「非常識」

常識とは、多くの人々に受け入れられ、さも当たり前のようなことを指している。 

しかし、常識とは一般化している「考え方」のひとつに過ぎず、必ずしも真実を言い表わしているとは限らない。

地球は宇宙の中心であり、天体が動いているという考え方は、十六世紀まで信じられていた。その後、地球が自転しながら公転するという説が出てきたが、すぐに受け入れられることはなかった。

今まで信じていたこととまったく正反対の事実を受け入れることは難しい。
真実が受け入れられないのは、反対勢力の大きな抵抗と、自分の過ちを認めたがらない大勢の人々の心の抵抗が最大の理由である。常識を覆すことは、地球を中心に天体が回ると考えていた学者たちの間違いを指摘することにもつながる。自分の信じていたものが間違いであると認め、新たな考え方を信じるまでには時間がかかる。

アルメール博士の「潜在意識調和理論」は、それまでの科学が証明してきた数多くの常識を覆す要素を含んでいた。さらに、科学だけでなく、歴史や考古学、地質学なども大きく覆してしまう要素も含まれていた。保守的な科学者たちは、彼の理論を恐れ、抵抗し、断固として認めようとしなかった。彼の理論を認めることは、すべての教科書や専門書を作り変えることにもなりかねないものでもあった。

多くの抵抗勢力や圧力に押され、「潜在意識調和理論」は、その理論を認めたごくわずかの人間の特別な書物になってしまった。

かつてアインシュタインは、宇宙には共通したシンプルなパターン、宇宙を司る「統一理論」があると信じ、宇宙のすべてを解き明かそうとした。たったひとつの式で表現できるマスター方程式である。それはアインシュタインが生涯をかけて追い求め、ついに果たせなかった夢でもあった。

「潜在意識調和理論」は統一理論の序章であり、アルメール博士は、それに続く論文も完成させていたという噂もささやかれていた。しかし、出版の目処はたっていなかった。
そこには地球存続に関わる重大な秘密についても記されていたが、それを知る機会は閉ざされてしまった。

その後、「潜在意識調和理論」が再び注目を浴びるようになったのは、初版出版から長い年月を経てからのことだった。

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