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104.「頭では理解できるけど、感情が追いつかない」という現象について

頭でっかちの僕みたいな人間によく起こる現象です。

理解はできる。
ただ、行動に移るか?
それはわからない。

こんな感じです。

「理動」という言葉がないように、人は理屈で動くのではなく感情で動きます。「感動」ですね。

そんな謎現象について、人気ブロガーのDJあおいさんが取り上げていました。

『理性』とは主に善悪を問うものであり、『感情』とは主に好き嫌いを問うものであり
善悪と好き嫌いって、なかなかどうして折り合いがつかないものなんですよね

身体にいいものとわかっていても、臭いがダメという理由で納豆が苦手な人もいます。
身体に悪いとわかっていても、確かに深夜のラーメンの悪魔的な美味しさには太刀打ちできません。

このように、日常から「理解はできるけど感情が追いついていない」という状態は起こっているのです。

正論で人が動けば楽なもんですよね。
僕もそう思います。

ここからは個人的な意見ですが。
理屈も感情も、別にうまく付き合えば良いんじゃないかなぁと思うのです。

必ずしも善悪が正しいわけではないですし、好き嫌いが正しいわけでもない。

まあ、どっちでもいいからさっさと行動したら、というのが僕の中での思いです。
理解できるかどうかも、感情が追いついているかどうかも、その先にある行動にはあまり関係がないな、と思うのです。

いまいち意味がわからないから素振りをしないプロ野球選手はいません。
今日は気分が乗らないから素振りをしない、というプロ野球選手もいません。

プロ意識がどこにあるか。

そこ次第だと思うので、理解が追いつかなくてもまあやってみたら、になりますし、凹んでいて解決にならないからまあやってみたら、となります。

理解も感情も、きっと行動の後に来るんでしょう。

野球部の頃を思い出していたら、そんな結論に至りました。

別に0か100かの問題じゃなくていいんです。
人生だいたいグレーな選択してます。

理屈で動きましたとか、感情で動きましたとか、どっちかじゃなくてだいたいはどっちも持ち合わせていると思っています。

と、こんな偉そうに言っていますが、僕自身も直面することはよくあるんですけどね。ほんとに。癖なんでしょうね、僕の。(笑)

大事なのは「いざというときの選択の基準」だと学んでいます。

いざというとき、僕は何を選ぶ人間であるか。

本当のチャレンジはきっと、どうせ理解できないし感情も追いつかないような、そんな気がします。

だからこそ。
だからこそ、やる価値があるんです。

日々精進。日々挑戦。

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