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26,伝~幸せになる自信がない方へ~
もしかしたら昨今の悲しいニュースを見ては、持ち前の共感力や責任感から一緒に沈んでいる方はいないだろうか。
そんな社会にいながら「私が一人で幸せになっている場合ではない」と罪悪感まで感じてしまってはいないだろうか。
一緒になって落ち込まないで
最近ほんとうに耳や目に入ってくる情報が深刻だ。
鶏と卵のような関係で
ニュースが暗いと言ってしまえば簡単なのだが、これは社会を映しているのだから、やはり社会全体が重く沈んでしまっているのではないかとさえ思う。
これを受けて自分まで重く引きづられていったり、暗くなる必要はない。
そうなってしまう人へのメッセージを送りたい。
そこに悩まない人は、読む必要はない。
あなたはあなた。幸せでいて
人が生きる意味を幸せでいることを前提とする。
その場合、自分が幸せでいる事には良いことが二つある。
1)自分のため
2)周りのため
自分が幸せでいることは言うまでもなし。
そしてあなたが幸せでいることは、あなたを大切にしている人を幸せにする。
そんな人たちは「あなたに幸せであって欲しい」と願っているはずだから。
幸せは人に伝染するなんて言葉も聞く。
反対に幸せな人の側にいて、幸せになれない時は、自分の心が不健全なのかと疑っても良いかもしれない。
他人の幸せを素直に喜べるような心のゆとりを保コントロールはしてみてもよいのではないか。
真に大切な人とは、あなたの幸せを心から望んでくれている人だから。
意外と自分が落ち込んでいる時は、人が寄ってくるなんてこともある。
その代表例は野次馬のようなものだ。
「自分の幸せ」と「社会」との繋がり
情報社会のおかげで常に広範囲な社会と繋がりを持ち、常にそれを意識している状態だ。
そんな情報との付き合い方についても一つ。
暗いニュースを見て、「こんなに苦しんでいる人がいるのに」と気を落とすようなことは誰にとってもいいことではない。
そこからは何も生まれない。
社会という共同体で生きていく上で当事者意識を持つこは非常に重要なことだ。
しかし社会に対しては感情を動かすのは勝手で、行動に移さなければ何もしていないのと同じだ。
行動と感情を整理する必要がある。
望遠鏡的博愛
最近の広告で「望遠鏡的博愛」がテーマになっていたものを見つけた。
これはまさに情報を得る自分のようだった。
遠くの人の幸せのために、近くの人の幸せに目がいかないと言う風刺だ。
ニュースを見ては「こんなに大変な人がいる」と自分までもが不幸になって、近くの人まで自分のネガティブな感情を広めてはないだろうか。
できるだけ自分は幸せでいて、その力でできるだけ近くの人を照らし、それが巡り巡ってゆけばいいなと思う。
自分のために幸せになっていいのかなと思う方は、
あなたのことを大切に思う周りの人のためでもあることを忘れないで下さい。
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