人間って欠点がなくならないように設計されているんじゃないか
人の欠点がどうしても目についてしまったり、自分の欠点に耐えられなくなったことありませんか?
私は、すごくあります。
どういうわけか、小さい頃から、「物事を完璧にしたい!」とこだわる癖があって、自分の欠点も他人の欠点も気になって仕方がない根深い「欠点」がありました。
覚えているのが、中学生の時。テスト勉強のために授業の内容をルーズリーフにまとめていたのですが、書いている途中で1つでも文字が汚くなると、0から書き直したくなるという衝動を抑えられません。実際に書き直して、全ての文字が自分の思い通りに綺麗になると、すっきりして爽快な気分になっていました。(非常に効率の悪い勉強ですね)
大学生の時は、キラキラしている周りのクラスメイトや友達と比べて、自分の欠点にどうしても耐えられなくなってしまって、憂鬱なロシア文学を読みふけりながら自宅にひきこもるような、暗黒時代を過ごしていました。
大学を卒業して会社員になってからは、自分の欠点を治さないとどうしても仕事の結果が出せないことを思い知らされて、自分の欠点をモグラ叩きのように1つずつ克服する努力を重ねていました。自分に対して「こうあるべき!」を課す分だけ、他人に対しても「こうあるべき!」と思ってしまって、ストレスを感じることも多い日々でした。
欠点を克服し、できることを増やし、自分をどんどん完璧な存在に仕上げようとする営み。
自分の欠点を否定することは、確かに成長の原動力になるけれど、それが積み重なると自分の心を支えられなくなるので、非常に脆い生き方です。
そんな私を、諭してくれたのが、実家にいる犬と猫でした。
犬と猫は、正反対の欠点・長所を持つ、正反対の生き物です。
犬と猫には、このような"欠点"がありますが、
犬に対して、「ストレッチして、体を柔らかくしたほうがいいんじゃない」と思ったり、
猫に対して、「慎重になりすぎず、もう少しスピーディーに獲物を狙ったほうがいいんじゃない」とは、当たり前ですが、全く思いませんでした。
なぜなら、正反対の"欠点"を持つ犬と猫が、一緒に存在する様子があまりにも美しいので、「欠点があるからこそ、生き物って美しいんだ」と思わざるを得なかったからです。
さらには、犬の"欠点"が猫の"長所"を引き立て、猫の"欠点"が犬の"長所"を
引き立てる様子を見る中で、「欠点があるからこそ、お互いを頼り合いながら結束できる。だから欠点は長所なんだ」という事実に気付かされたからです。
多くの方にとっては、当たり前の事実かもしれませんが、長い間完璧主義に悩まされていた私にとっては、衝撃の気づきでした。
欠点があるからこそ、生き物は美しい。
欠点があるからこそ、誰かと結束できる。
欠点は長所だ。
こうやって欠点を受け入れてしまったら、本当に気持ちが楽です。そして、欠点を受け入れることは、必ずしも成長を止める、変化を止めることにはなりません。
むしろ、欠点を受け入れられるからこそ、他人の力を借りることができますし、欠点を踏まえてどういう対策ができるか?を考えることができます。
今後の人生、「どうしたら、欠点を受け入れつつ、変化し続けられるような、健全な生き方ができるかな?」を引き続き、模索していきたいなと思っています。
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