昨今の世界情勢と日本人の曖昧さ

先週からテレビをつけても、SNSを開いても、流れてくるのはロシア、ウクライナ情勢についてのことばかりで、大変なことが起こっていると実感しているのと同時に、ふと思うことがあり、あまり得意ではありませんが、気持ちを整理する為に、言葉にしてみようと思いました。

私はドイツの大学で国際関係論を専攻していることもあり、様々な国、地域の人たちとこの問題について話したり、SNSで発言しているのを目にしたり、ロシア人の友人がいたり、またバイト先の同僚がウクライナ人であることから、ますます身近な事として感じています。

国際関係論を専攻していながら、私はあまり政治に詳しくはなく、難しい話もあまり好きではありません。世の中は自分が思っているほど単純ではないということは百も承知ですが、今の世の中を見て、私はあまりにも人々は固定概念に囚われていて、中立的に物を見る力を失っていると感じました。

今回の例で言うと、流れてくる情報はほぼ「ロシアがウクライナの領土を奪い軍事侵攻をした」「ロシアが戦争をふっかけた」というほぼ「ロシアが悪」といったものです。

もちろんロシアのやっていることは、許されることではないですが、ウクライナにも言い分があり、ウクライナ人の友人でさえ「ウクライナは長年、ロシアに対してひどいことをしてきている」と言っており、そのことはあまり世界的なニュースでは取り上げられていません。

そういった情報を、当事者は何より、第三者(ここでは欧米社会や日本)は知らず、知ろうともしないで、勝手に反ロシアになってしまっている。そして、物事を多方面から見る能力を失っていると思いました。形や外見、名前に囚われすぎて、中身は何なのか、どういう人間性なのか、一呼吸おいて時間をかけてでも考えることがいかに大切かということを学びました。

SNSではよく「stand with ***」や自分のプロフィール写真を支援する国旗に変えるなどありますが、私はそれはあまり必要なことだとは思いません。現在世界は、ウクライナを支援する流れになっていますが、では普通に暮らしているロシア人も全て悪者なのか?その人たちはどう思っているのか?ある片方の味方に付くことで、また敵を作ることになる。そして、一度その輪の中に入ると、入ってくる情報は偏ったものになり、判断力が鈍ってきます。

ここからが私が一番主張したいことですが、

日本人の曖昧さはこういう場合に武器になるのではないかと思いました。

よく日本人の曖昧さはよくネガティブなこととして捉えられています。例えば「Yes/No」をはっきり言わない、思っていることがうやむやにするなど、悪気があってしているわけではありません。答えを曖昧にすることによって、相手を思いやるといった気持ちが込められている場合がほとんどだと思います。

例えば小さな喧嘩があった時に、日本人は中立的な立場をとって、両方の立場の意見を感情的にならずに聞けて、どうにか解決策を見出すという力にかなり長けていると思います。

今回のロシア、ウクライナ問題で日本がどうこうということではなく、何か問題が起こった時、自分の知らないこと、物に出くわした時、すぐにどちらか一方の肩を持つ、または、物事を片方から見ただけで判断することが、どれだけその後の自分の情報量を狭くするか、そしてそれが自分の価値観の形成に影響するか、昨今の情勢について反応する色々な国の人の投稿、発言を通して考えさせられました。

もちろん、曖昧にはなってはいけないこと(例えば今回では民間人を巻き込む攻撃の責任など)はあります。そして、仕事などでどちらか一方に付かなければいけない時もあるかもしれません。ただそれ以外では、白黒にこだわらない曖昧さとそれを認める大きな器があれば、少しは優しい世の中になるのかなと思いました。



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