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【ショート小説】毒親と呼ばれて

友達みたいになりたかった。
なんでも話せて、なんでも聞いてもらえる、そんな親子になりたかった。

友達みたいになりたかった。
なんでも話せて、なんでも聞いてもらえる、そんな親子になりたかった。

私はそうじゃなかったから。

私が子供の頃、日本はまだ貧しかった。
母親はいつも私に背を向けて、畑に向かい、針を動かし、おむつを洗い、一日中あくせく働き続けていた。

学校でのできごと。
友達とけんかしたこと。勉強で褒められたこと。

生理になってしまって、とても怖かった。

一生懸命話しかけたのに、母親は振り返ってもくれなかった。

そうやって育った私が母親になった頃、日本はようやく豊かになった。

今では信じられないかもしれないけれど、当時は誰もが憧れだった「団地」に住むことができて、私は母親のようにあくせく働くことのない、専業主婦になることができた。

私はあなたが小学校から帰るのを、手作りのお菓子を焼いて待った。

あなたは、学校であったことを私に話してくれる。
私も、団地であったことを、面白おかしくあなたに話す。

向かい合って笑う、母と娘。

クッキーの甘い香り。
団地の四角い窓から差し込む日差し。風に揺れるレースのカーテン。

奇跡みたいに幸福だった。

あなたが十歳を超えた頃、恋愛にも興味をもつようになったから、夫との馴れ初めや愚痴も話すようになった。

母親に聞いてもらえなかった、生理の話も。

友達みたいに対等に話せて、嬉しかった。

あなたに話すと、幼い頃から胸の中に溜まっていた澱がとけて、すっきり体が軽くなった。




「私はあなたの友達じゃない」

だから、28歳になった娘からそう告げられた時、意味がわからなかった。

「私はあなたの娘であって友達じゃないの。なんでもかんでも、私に話さないで」

28歳にもなって恋人がいない娘に焦れて、私が結婚する前に付き合った男たちについて、意気揚々と語っていた時だ。


何が間違っているの?

私にはなかった、母親との時間。
貧しくて、忙しくて、決して振り返ってくれなかった、私の母親。

あなたは豊かな時代に生まれて、母親と友達みたいに話すことができて、こんなにも幸せなのに、どうしてそんなことを言うの。

「親の生理の話なんか、聞きたいわけないでしょう」

娘はこう吐き捨てて、家を出ていった。

「私はあなたの感情のゴミ箱じゃない」

「私は毒親に育てられました」

娘のSNSへの連投が、スマートフォンの小さな画面の向こうで、ぼんやりと滲んでいく。

「小学生の頃から私は母の感情の掃き溜めにされていました」

あのティータイムのどこに「毒」があったというのだろう。
手作りのクッキー。柔らかな午後の光と、風にそよぐレースのカーテン。

母と娘のほがらかな笑い声。

どこをどう探しても、「毒」など決して見当たらない。

話せば、きっと誤解はとけるに違いない。
だって私たちは「友達」のように仲の良い親子なのだから。

だから私は今日も、娘への通話ボタンを連打し続ける。

話したいことがたくさんある。聞いて欲しいことが、たくさんある。

飢えたような幼い子供が、ほつれたレースカーテンの向こうに見えた気がした。

(了)

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