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天使の約束(1)
2024年創作大賞応募作品
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〔あらすじ〕
春陽と智は、映画館で出会い三年後に結婚をする約束をした。智の公認会計士試験合格と春陽の想定外の妊娠が重なり三年を待たず結婚、智の実家がある横浜へ転居する。
環境変化と義両親の関係に悩み、心のバランスを崩した春陽は離婚を決意。幼い息子を手放した母親にはもう恋をする資格はないと思い込み仕事に没頭するが、ある時、自分の中に芽生えた同僚への恋心に気づき春陽は戸惑う。
年の瀬、彼と一緒に行ったバーで告白しようとするが叶わず恋は終わる。帰り際にバーのマスターに言葉をかけられるが、春陽がその意味に気づかないまま二年の時が過ぎた。
家族と過ごすある休日、彼とよく似た男性を見かける。
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〔物語 本編〕
第一章 家族の休日と幸せ
「ママ、行ってきます!パパ、早く行こうよ~!」
「勇希、迷子にならないでね。パパ、勇希の事お願いね」
「今日は、映画が終わった後のお楽しみのことしか頭にないから心配ないよ」
智は私の方を振り返り、のんきな笑顔で答えると玄関のドアを閉めた。
智と勇希は、自宅から歩いて十分の距離にあるショッピングモールへ一足先に出かけて行った。
子供たちに大人気のアニメ映画を観るためだ。その映画は、大人にも人気がある作品で毎年春頃に新作が上演されている。
映画館の座席は確保済み。
上映開始時間は決まっている。
まだ時間は十分にある。
だから、そんなに慌てて出かけなくてもいいじゃないと私は思う。とはいえ、少しでも早くその場所へ行きたい気持ちは映画好きの私にはよく解る。
ショッピングモールに併設されていている映画館は、週末はとくに混雑している。
勇希はこの春から小学3年生になったのだが、まだまだ行動が予測不可能だ。何かに興味をそそられると、急に走り出して行方不明になる。平日とは桁違いの混雑の中に紛れてしまったら、もうお手上げだ。
常連になりつつある迷子センターへ迎えに行くと、心配でひどく動揺している私とは対照的に、勇希はいつも何事もなかったかのように落ち着いて座っている。
私の顔を見て手を振った後、嬉しそうに駆け寄ってきた息子に抱き付かれると、手のひらに握りしめていた怒りの感情はすっと消えてなくなってしまう。そしてすぐに許してしまうのだ。
今日はずっと楽しみにしていた映画をパパと一緒に観ること。
その後に大好きなアイスクリームを買ってもらえること。
この二つの楽しみがあることが分かっているから迷子の心配はないかな。
智と勇希が出かけて静かになったリビングで、私はおむつの予備や着替え、水分補給のドリンク、ウエットティッシュなど、必需品を忘れていないか確認をした。
御手洗いもちゃんと済ませておかなければ。
赤ちゃん連れの外出は荷物が多くて何かと不自由だ。けれど、手がかかる時期はあっという間に過ぎていき、それは後から取り戻せない宝物のような時間だということを私は知っている。
子育てのことでつい愚痴が口から溢れ出そうになったら、上を向いてやり過ごす。
「さあ、萌花もママと一緒におでかけしようね」
生後五ヵ月になった娘の萌花をベビーカーへ寝かせる。智たちより十分ほど遅れて家を出た私は、ショッピングモールの隣にある公園へ向かった。萌花の首が座った頃から、雨の日以外はベビーカーを押してよくこの公園へ来ている。
いつものように萌花に声をかけながら自然の森エリアを散策する。時折見かける愛犬を連れた女性と目が合ったので、軽く会釈をした。
お気に入りのベンチがある場所を目指す。良かった、誰も座っていない。
ベビーカーにストッパーをかけてゆっくりとベンチの真ん中に腰かけた。時計を見ると、映画が終わる時間まで二時間近くあった。
ベビーカーの中では、小さな天使が口元を少し緩めて可愛らしい寝息を立てている。親ばかだとは思うが、萌花は世界で一番かわいい天使だと私は信じている。
もう一人の天使は・・、いえ、もう天使を卒業したやんちゃ坊主はパパと一緒に映画を楽しんでいる事だろう。
少しずつずり落ちて萌花の足元に追いやられてしまった桃色のタオルケットをそっと掛け直し、柔らかい頬にそっと触れる、手から伝わるほんわりとした幸せを私はかみしめた。
キラキラとした眩しさの先にある青い空を感じながらやりとしている時、短く淡い恋の記憶が脳をかすめた。甘酸っぱい想いが胸いっぱいに拡がってきた時、心の奥がチクリと小さく痛んだ。
痛みの正体はきっと失恋の痛みなのだろう。恋の記憶は薄れてしまっても痛みは残るのだろうか。
脳をかすめた短い恋の記憶がこれ以上大きくならないように、私は深くため息を吐いた後大きく息を吸い込んで深呼吸してみる。
ねえ、萌花、聞いてくれる?
ママのちょっと不器用で遠回りな恋のお話。
まだ言葉も理解できない赤ちゃんの萌花になら、私の恥ずかしい話も素直に話せる気がする。
けど、やめておこう。それより、あなたのパパと初めて出会ったときの話をしてもいいかな。なんてね。
頬にあたるそよ風が夏の匂いに変わり、都会の小さな森にあるベンチには木洩れ日が輝いている。その様子を見ながら、智と出会った頃から今日までの小さな私の歴史を振り返ってみた。
智と初めて出会った場所は映画館で、季節はちょうど今頃だった。あれから10年以上になる。
出会った当初は、まさか結婚することになるなんて思いもしなかった。出会った事実もお互いの存在も忘れて、またいつもの毎日がそれぞれの人生の中に続いていくと思っていた。
その出会いが良かったのか悪かったのか、その時の判断が正しかったのか間違っていたのか、きっと人生最後の日になるまでわからない事なのだろうと思う。
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時計を見ると、映画の終了時間まであと二十分ほどだった。
「ふぅえぇ・・ん」
萌花が目を覚ましたようだ。不快感と空腹で体をよじっている。お腹に手を当てて落ち着かせてから、手早くおむつを替える。少し機嫌がよくなったようだ。抱き上げて授乳をしながら萌花に話しかけた。
「お腹がいっぱいになったら、お父さんとお兄ちゃんを迎えに行こうね」
授乳が終わった後、萌花をぎゅっと抱きしめマシュマロのような頬にそっとキスをする。お腹が満たされ、お尻の不快感も無くなり天使の笑顔をみせてくれている。萌花をベビーカーに戻し、背もたれを少し起こす。
私たちはゆっくりと映画館があるショッピングモールの方へ向かった。
公園からショッピングモールまでは一本の広い道でつながっていてる。ゆっくり歩いても十分とかからない程度の距離だ。
一番上の階にある映画館の前に着いた時、ちょうど映画が終わったようで映画館のフロアはたくさんの人でにぎわっていた。
これからチケットを買って映画を観る人や出てくる人の邪魔にならないように、入り口から少し離れた場所で智と勇希を待っていた。そこには、近日上演の映画を知らせるパネルがならんでいる。
萌花はまだ言葉にならない声を時々発しながらご機嫌な様子で手足を活発に動かしている。何気なく映画予告のパネルの一つに目をやり、そこに書かれた文字を読んでみた。
「伝えられない想い。伝えなかった想い。十年の時を経て重なった二人の時間」か。
少し悲しそうな表情の男女の写真と、その上にそっと置かれた文字から恋愛映画の広告だということが分かる。
恋する相手に「好きだ」という気持ちを伝えることが出来ないまま二度と会えなくなってしまい恋が終わるという切ないラブストーリーのようだった。
気持ちを伝えることが出来ずに会えなくなって恋が終わる。きっとよくある話だ。私にだって経験があるのだから。
好きな人ができると胸の奥にぼんやりと小さな暖かい灯が燈る。
恋の始まりはほのかな暖かさを胸に抱いているだけで満足するのだが、次第に抑えきれない熱い想いになっていく。
熱さに耐え切れなくなり自分の気持ちを伝えずにはいられなくなる。
けれど、それを阻む事実を知ることになったり、あきらめざるを得ない出来事が起こったりするのだ。
そんなことを考えていると、先ほどよりも強く短い恋の記憶が呼び起こされた。私の場合は、気持ちと伝える言葉が口から漏れ出そうになる一歩手前で、相手から言葉を遮られた。
智と勇希が映画館のフロアから出てきたのが見えた。
勇希は、映画のパンフレットと子供だけに渡される入場者プレゼントを手に嬉しそうに小走りでこちらへ向かってくる。
「春陽、お待たせ。さあ・・」
智が私へかけようとした言葉を言い終えないうちに勇希が言う。
「ママ~!映画すごく面白かった。もう一度見たいな」
「よかったね。今日は迷子にならずにママのところへ来られたね」
「僕、いい子だからね」
「はいはい、いい子だね」
今日いい子にしているのは、パパが一緒にいるし、あのアイスクリームが食べたくて仕方ないからだよね。私は勇希の頭をなでながら思った。
家族四人が揃ったところで、約束のアイスクリームショップへ向かった。アイスクリームショップはショッピングセンターの一階にある。
早く食べたくて待ちきれない勇希は智と手をつなぎ、エスカレーターを先に降りて行った。私は、ベビーカーを押していたためエレベータから一階に降りてアイスクリームショップへ向かった。
アイスクリームショップに着くと、智と勇希はすでに順番待ちの列の中の前の方だった。遅れてきた私たちを見つけた勇希は、「ママこっちだよ」といって手を振った。
「ママ、何がいい?」
「そうね。バニラのソフトでいいわ。トッピングは要らない。じゃあ、お願いね」
お店の中のイートインスペースには空いている席がない。オープンテラスの四人掛け丸テーブルの一つに座って智たちを待った。萌花はまた眠ってしまったようで、ベビーカーの中は静になった。
アイスクリームショップには、私たちのような子供連れや女性だけではなく、男性同志のお客さんも多い。甘すぎず、少し高級な材料を使っているため男性にも人気があるのだろう。カップ入りのアイスも美味しいのだが、ここのお店で提供している絞りたてのソフトクリームは格別だ。
小さい頃からこんな美味しいソフトクリームの味を知ってしまったら、安物のソフトクリームには見向きもしなくなるかもしれない。ショッピングセンターにはよく来るのだが、勇希を連れてここのお店に来るのは、パパと一緒の時だけだから、そんな心配はしなくていいか。
家族にとってもスペシャルなソフトクリーム。家族四人そろったときだけのお楽しみだと勇希は理解してくれている。
「そろそろ、戻ってくるかしら」
私がアイスクリームショップの入り口の方へ視線向けると、小さな女の子を連れた夫婦が出てくる様子が見えた。
何気なく男性の方を見たとき私は一瞬、ドキッとした。
男性はかつて想いを寄せていた彼にそっくりだったのだ。髪の毛は少し伸びているが、体格も身長も同じように見える。
「もしかして・・・?」
思わず小さな声をだしてしまった。少し動悸が激しくなった胸に手を当てた時、男性の方も私の方を見た。だが表情を全く変えずに自然に視線を逸らした。
ソフトクリームを手にして嬉しそうな様子の娘さんを見つめながら、優しくその背中に手をあて、私の横を通り過ぎると少し離れたテーブル席に三人で座った。
また時が止まったような感覚になり、甘酸っぱさが春陽の胸の奥に広がる。でもこんなところに彼がいるはずがない。目が合ったが表情を変えなかったあの男性は、似ているだけで彼とは違う人だ。
彼には子供はいなかったし、あれからすぐ子供が出来たとしても二歳くらいだろう。
人違いだと何度も自分に言い聞かせていると、智と勇希がアイスクリームをもって私のところへ戻ってきた。
「ママ~。バニラのソフトクリーム買ってきたよ」
「ありがとう。勇希は何にしたの?」
「チョコとバニラのミックスだよ。パパと一緒」
「ミックスも美味しそうだね」
「うん。二つの味が楽しめてお得だから、な、勇希」
「そう、お得!だよね、パパ!」
智に続いて、勇希が言う。
勇希はパパの事が大好きで、すぐ真似をしたがる。ずっと楽しみにしていたソフトクリームを食べている勇希は本当にいい笑顔をしている。
「ねえ、春陽。覚えている?僕たちが初めて出会った日の事」
「急にどうしたの?」
智たちの座席の前列には、ぎこちない様子の高校生くらいのカップルが座った。付き合い始めて間もないのか、初デートだったのか。親密とはいえない彼らのよそよそしい雰囲気をみて、智は私と出会った日の事を思い出したのだという。
「もちろん覚えているよ。ドタキャン男との出会いだよね。ふふふ」
「何だよ、ドタキャン男って」
「余った映画のチケットをもって、うろたえていたし」
「まあ、なんというか、あれは不思議な時間だったよな」
(第二章へ続く)
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〔二章以降は、随時アップしていきます〕
第二章 ドタキャン男との出会い
第三章 出会いは偶然、変化は突然
第四章 人生はビックリ箱のように
第五章 決意の一人旅
第六章 恋の神様からのクリスマスプレゼント
第七章 それぞれの向かう道
第八章 迷子のママが戻ってきた日
第九章 交わらない二人の気持ち
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