鬼滅の刃・感想文


※この記事は鬼滅の刃最終回までのネタバレを含んでいます。
本誌をまだ読んでいない人、コミック派の人はご注意ください。


〇はじめに
2020年5月18日発売の週刊少年ジャンプ24号にて、鬼滅の刃が完結しました。
連載開始から徐々に読者を獲得し、2019年のアニメ化で爆発的に知名度が上がり、人気絶頂という中での連載完結。
終盤は容赦なく加速する戦闘に加え、最終回直前の衝撃的な描写も話題となり、ファンの間では作品が続くか終わるかも含めて議論となりました。

そして迎えた最終回。
そこでは今まで活躍したキャラクターと瓜二つの姿で現代を生きる人々が現れ、平和な日常を過ごしていました。
これは辛く過酷な戦いの日々を終えたキャラクターへの救済や、ここまで作品を楽しんだ読者へのサービスと捉えられます。

ただ、鬼滅の刃という作品のテーマが何だったのかに想いを馳せると、少し別の解釈もできると個人的には感じました。
そのテーマと解釈について、全体の流れを追いつつ書き連ねていこうと思います。


〇物語のテーマ
まず「鬼滅の刃」という物語のテーマですが、個人的には「継承」であると捉えています。
もっと言えば「継承」と「断絶」が対立する構図にあり、最終的に「継承」が勝利する物語、という感じでしょうか。
そう思った理由について、物語全体を序破急の三幕構成で分けて掘り下げます。


〇序:「断絶」の象徴、「継承」の片鱗
序は第一話〜那田蜘蛛山編が該当すると考えています。

第一話は、炭治郎にとって最大の「断絶」から始まります。
愛する家族を永遠に失い、唯一生き残った妹の禰豆子は鬼と化すという悲劇。
その後は冨岡さんを交えての紆余曲折があり、炭治郎は禰豆子を人間に戻す=「断絶」を修復するために鬼と戦う道を選びます。

物語の序盤では、主に鬼という存在の脅威が中心に描かれます。
鬼は人間を喰らい、犠牲者やその家族に癒えない傷を負わせる、いわば「断絶」の象徴です。
彼らは疑似的な不老不死であり、基本的に個で完結しています。
鬼舞辻無惨を中心とした組織体系が見られるものの、これは一方的で理不尽な支配であることが下弦の鬼たちを粛清するシーンに表れています。
人に「断絶」をもたらし、その先には何も続かない負の存在。それが鬼です。

また興味深い点として、作中には「鬼の子供」が登場しません。
「子供の鬼」は登場しますが、これは子供時代に鬼となったものであり、生まれながらの鬼ではありません。
「継承」の典型例とも言える子孫繁栄を行う様子が見られないというのも、鬼が「断絶」しか与えられない存在だということの示唆に思えます。

那田蜘蛛山編に登場する下弦の陸・累は他の鬼を家族に見立てて暮らしていますが、やはり力で恭順を迫る歪な関係性です。
彼の血鬼術は糸で、本来は繋がり=「継承」の象徴であるはずが、他者を切り刻む「断絶」の手段として使われているのに皮肉を感じます。

炭治郎は累を相手に奮闘するものの、水の呼吸ではあと一歩及びません。
しかし、土壇場で亡き父から教わったヒノカミ神楽を思い出し、それを技に転化することで状況を覆します。

このシーンは序盤における「継承」の代表例です。
まだ詳細は明かされませんが、炭治郎には何かしらの理由で強力な技が受け継がれていることが判明します。

禰豆子との「断絶」を修復する術を探りつつ、「断絶」をもたらす鬼たちと戦う基本構図を示す。
その中で炭治郎の持つ「継承」の力が徐々に見えてくるというのが、序盤の展開です。


〇破:「継承」の象徴と、その収束
破に該当するのは柱合会議〜最終決戦直前までです。

まず柱合会議では、各柱の顔ぶれやお館様の姿が明かされます。
同時に禰豆子の存在───人と鬼との間にある「断絶」が論争の的になります。
鬼は人を喰らうモノであり、人に味方することはあり得ない。手遅れになる前に殺すべきだ。
そうした意見が大半を占める中、炭治郎と禰豆子が意志を貫き、鱗滝さんや冨岡さんの口添えもあって状況は一応の決着を見せます。

ここで炭治郎は「自分と禰豆子が必ず鬼舞辻無惨を倒す」と宣言します。
これは禰豆子を人間に戻すという目標とは別のもので、鬼殺隊全体の悲願であると言えます。

物語における「断絶」の象徴が鬼だとするなら、「継承」の象徴は鬼殺隊です。
鬼殺隊は遥か昔から存在し続けている組織で、「鬼舞辻無惨を倒す=すべての鬼を滅ぼす」ことを最終目標としています。
あくまで人間である彼らは、始まりの呼吸を元とする各種の呼吸を「継承」、あるいは派生させることで鬼と対峙してきました。
同時に、鬼を滅ぼすまで戦うという意志を各々が持ち、志半ばで倒れる時もその意志を「継承」してきました。

ただ、彼らの願いは戦いそのものではありません。鬼を滅ぼした後、家族や仲間が幸福で平和に暮らせるようにという点にこそ本意があります。
ゆえに一部のキャラクター(風柱や花柱)は意志の「継承」を拒み、身内を戦いから遠ざけようとしました。
いずれにしろ、後世の人々に平和をもたらすため鬼と戦う、そしてその意志を「継承」し続けてきたのが鬼殺隊という組織です。

「断絶」の象徴が鬼、「継承」の象徴が鬼殺隊としましたが、その中点には「人間」がいます。
作中エピソードには、ともすると鬼よりも残酷な行為へと走る人間が登場します。鬼殺隊にも志と憎しみの間で揺れる者や、中には鬼殺隊から鬼へと堕ちる者もいます。
人間は家族や仲間を通じて様々なものを「継承」できる一方で、むごいほどの「断絶」を他人に与える可能性も孕んでいます。
だからこそ、揺らぎを乗り越え意志を「継承」し続けてきた鬼殺隊の在り方が際立っています。

鬼殺隊の信念を最も強く体現した人物、それが炎柱・煉獄杏寿郎です。
無限列車編で炭治郎は初めて柱である煉獄さんと共闘し、圧倒的な強さと誇りを目にしました。
煉獄さんは上弦の参・猗窩座との戦いで命を落としますが、直前に炭治郎と禰豆子を認め、激励の言葉を遺します。
その姿勢は亡き母から受け継いだものであり、彼は己の役割を全うしつつ、次世代に意志を繋ぎました。
以降、煉獄さんの言葉や面影は事あるごとに登場し、炭治郎たちを支えます。また、戦いの中で「例え自分が死んでも、他の仲間へと勝機を繋ぐ」という覚悟が徐々に顕在化していきます。

鬼殺隊の覚悟を「継承」したのは炭治郎だけではありません。
刀鍛冶の里編の終盤で、炭治郎は究極の選択を迫られます。
日の出が迫る状況で妹である禰豆子をかばうか、上弦の肆・半天狗に襲われている刀鍛冶の人々を助けるか。
一瞬の判断が必要な状況で、しかし炭治郎は優しさゆえに迷いを振り切れません。
それを見た禰豆子は、自分が犠牲となり炭治郎に他人を助けるよう促します。

禰豆子は物語全体で見ても、非常に特異な存在です。
鬼と成りながら人を喰らう本能を制御し、人を守るために肉体や血鬼術を駆使して鬼と戦う。そして、その体質を次々に変化させている。
それはつまり、鬼・人・鬼殺隊の三要素が同居し、常に揺らいでいるということになります。

そんな禰豆子が選択した自己犠牲の行動。この場面は禰豆子という存在にとっての転換点だと捉えることができます。
「断絶」の象徴であり個で完結しているはずの鬼が、自己犠牲という「継承」の行動を取る。
それまで揺らいでいた禰豆子の内面は、ここで人、更には鬼殺隊として確立したと言えます。
結果、禰豆子は消滅せず、太陽を克服するに至りました。
その理由は詳細には語られていませんが、禰豆子の内面にあった「断絶」と「継承」の対立、そしてその決着が要因だというのが個人的な解釈です。

鬼殺隊を代表とするさまざまな「継承」の要素が、炭治郎と禰豆子に収束していく。
そして最後に禰豆子が決定的な変化を遂げ、最終決戦を引き起こす鍵となる。それが中盤の流れです。


〇急:「継承」と「断絶」の激突、そして勝利
急に該当するのは、最終決戦です。

無限城で同時多発的に繰り広げられる、上弦の鬼との激闘。そこで鬼殺隊の面々は、文字通り命懸けで戦います。
自らの身体を毒として姉の敵を追い詰めるしのぶさん、五体を次々に失いながらも最期まで戦う意志を貫く時透くん、兄や仲間のために鬼喰いの力を限界まで駆使する玄弥………。

最終決戦のみならず、鬼との戦いは一対多の乱戦になるケースが多いです。
強力な個である鬼を前に、互いが互いを支え、あるいは想いを託して犠牲となり、その果てに鬼を打倒する。
これは鬼殺の意志を「継承」してきた鬼殺隊だからこその特徴であると言えますし、その集大成が最終決戦の随所に現れています。

その中で徐々に、始まりの呼吸の使い手・継国縁壱の過去が掘り下げられます。
縁壱は穏健な人格者でしたが、強すぎる才能ゆえに「断絶」の続く不遇な人生を送り、彼自身も何も残せないと希望を失っていました。
しかし、彷徨った末に行き着いた竃門家で人の温もりに触れ、心が氷解。これを機に竃門家は日の呼吸=ヒノカミ神楽を代々「継承」することを生業とします。

炭治郎、もっと言えば竈門家の持つ「継承」の真実は物語の核心の一つです。
鬼殺隊では文章として残るのみの特別な御技が、なぜ一介の炭焼き一族である竈門家によって「継承」されてきたのか。
炭治郎の持つ痣も相まって、煉獄さんの父が炭治郎自身を特別な存在だと勘違いする場面もありました。
メタ的な視点でも、物語の主人公が実は特別な血筋であると明かされるケースは珍しくありません。

実際のところ竈門家の血筋自体に特別な要素はなく、そこにあったのはひたすらに純粋な「継承」の意志でした。
鬼殺隊のように鬼を滅ぼすという信念もなく、ただ命の恩人である縁壱に報いるため、その存在を繋ぎ続けるために為されてきたヒノカミ神楽の「継承」。そしてそれが炭治郎の代まで続き、最終決戦では無惨を倒す鍵となります。

日の呼吸ですが、最終決戦編の中盤まで日の呼吸には十三番目の型があるのではないかと推測されていました。
しかしその実態は、「十二の型を順に繰り出し、最後に十二と一を繋げて循環させ、永遠に型を出し続ける」というものでした。
究極の一撃ではなく、すべての型を繋げることで生まれる無限の連撃。
これもある意味では「継承」を象徴した技だと言えます。

過酷な技を決死の覚悟で繰り出す炭治郎、生き残った柱や鬼殺隊の仲間たち、珠世さんの執念、更には隠の面々をも加えた命の数珠繋ぎのような死闘の果て、ついに鬼殺隊は多くの犠牲と引き換えに無惨を倒します。

しかし、無惨は死の間際に価値観を一新。
なんと、自分の野望を炭治郎に「継承」させようと試みます。

「断絶」の象徴たる鬼の頂点・鬼舞辻無惨が初めて試みる「想いの継承」、それは太陽を克服した完全な生物となること。そして鬼殺隊を滅ぼすことでした。
無惨の強い執念によるものか、鬼化した炭治郎は瞬時に太陽を克服。異形の姿となって仲間たちに襲い掛かります。

ここに至っての戦いは、炭治郎を軸にした「継承」か「断絶」かの振り子のようなものです。
鬼殺隊と鬼舞辻無惨、対立する2つの価値観が炭治郎に集約され激突する極限の状況。
最終的に、カナヲが身を挺して打ち込んだ薬によって炭治郎の意識は失われます。

無意識の暗闇の中で、無惨は炭治郎を必死に己の側へ引きずり降ろそうとします。
それを押し返して背中を支えるのは、これまでに失った家族や仲間たちの腕でした。
そして、天上から伸びる現実世界の禰豆子たちの腕を掴み、炭治郎は人間として目覚めます。

鬼滅の世界では、死の淵や夢の世界で死者が姿を現すシーンがいくつか見られます。
彼らは生者を叱咤激励し、心を奮い立たせ、正しい道へと導いてくれます。
ただ、それらはいずれも意識上の話であり、現実に直接的な影響を与える場面は存在しません。
無惨の語るように、都合のよい妄想だという主張にも一理あります。

重要なのは、炭治郎たちが「彼らならこう願ってくれるはずだ」と確信している、ということです。
失われた人々が何を願って生きていたか。それを心に刻んでいるから、あの世からでも支えてくれると迷わず信じられる。己の力として受け継ぐことができる。
それこそが真なる「想いの継承」であり、独善的な価値観を一方的に押し付ける無惨の「想いの継承」などに負ける道理はありません。

「継承」と「断絶」が激突し、「継承」が完膚なきまでに勝利する。
炭治郎の再生は作品全体のテーマが結実した場面だと言えます。


〇エピローグ:最後に「継承」されたもの
ラスト二話はエピローグ的な位置付けで、最終決戦後に生き残った各キャラの身の振り方と、その先の未来が描かれています。
そしてそこにはもう一つ、「継承」というテーマの結実と言える光景が見られます。

戦いのあと、傷が癒えた炭治郎と禰豆子はそれまで関わった人々と言葉を交わしつつ、善逸・伊之助と共に竈門家へと戻り、そこで時を過ごします。
最終回ではそこから一気に現代へと視点が移り、それまでの登場人物と瓜二つの面々が賑やかな日常を送る姿が描かれました。
作中で語られる通り、一見するとキャラクターが転生し、皆が幸せになって終わったという捉え方もできます。

しかし、彼らは似た姿をしていても全くの別人です。
一部には血縁関係も見られますが、少なくとも前世の記憶などはなく、命を失ったキャラクターそのものが救われたわけではありません。

ただ、そこには確かに「継承」されたものが存在します。
それが、平和です。

前述した通り、鬼を滅ぼし平和をもたらすことが鬼殺隊の悲願でした。
そのために全員が命を懸け、実際に多くを犠牲としながらも無惨を倒し、願いの成就をもって鬼殺隊は解散しました。

そして、最終回では彼らの取り戻した平和が現代まで続いています。
倒れた者、生き延びた者を問わず皆が願って止まなかった平和な世界。
そこでは例え同じような個性・特徴を持つ人物であっても、もう鬼との戦いに巻き込まれ、一方的に「断絶」を与えられることはありません。

象徴的なのが炭治郎に似た少年・炭彦です。
彼は現代人にも関わらず人間離れした身体能力を備え、その才能は縁壱をも彷彿とさせます。
ただ彼自身はのんびりとした性格で、争いとは無縁な生き方をしています。
彼のように卓越した才能を持つ者が、戦いの道を歩むことなく自由に生きている光景。
それこそがキャラクターたちの獲得した最大の報酬であり、救いでもあるのだと思えます。

そして最終回の最後のコマには、炭治郎の刀や耳飾りと共に、かつての人々の笑顔あふれる集合写真が載っています。
その様子からは、彼らもまた平和で幸せな日々を送ったこと、そしてそれが現代まで連綿と「継承」されたのだということが分かります。

呼吸でも、鬼を滅ぼす意志でもなく、暖かな平和がつながり続けている。
それは作品のテーマが結集し、この上なく幸福な答えとして提示された終幕だと感じるのです。


〇おわりに
鬼滅の刃は容赦ない描写、生き生きと動く登場人物、思い切りの良いテンポ感、そして優しく強いメッセージ性と、様々な魅力に溢れる作品でした。
個人的にも、ここまで毎週熱中して読んだ漫画は久々か、ともすると初めてかもしれません。

ここまで連々と書きましたが、テーマ一つ取っても読み取り方は様々で、同意する人・しない人がいるだろうと思います。
ただ、こういう風に考えを巡らす楽しみ方ができるのは、ひとえに鬼滅の刃という作品の熱量のおかげです。

吾峠呼世晴先生に最大の感謝を。そして次回作への期待を。
鬼滅の刃を生み出し、描き切ってくれて本当にありがとうございます。
どうかゆっくり休んで、いつかまた面白い作品を読ませください。

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