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武蔵御宿捕物帖-4

あらすじ

 辰之助は八王子千人同心だ。日光東照宮の火の番を勤めあげて帰る途中の扇町屋で捕物に出くわす。その時会った男の笑顔に引っかかって、所澤まで行ってみた。出会ったのは、件の男とは似ても似つかない小柄な少女だった。
 捕物の男(実は女)は、所沢の岡っ引きだった。相棒と共に町を守っている。件の少女とは姉妹の間柄<悪い虫なら容赦しない>。

市に潜んだ悪いヤツ2

八王子千人同心村

 辰之助は、長居をするつもりはなかった。
 おいしい飯だった。しかし、小鉄と馬五郎にとってはこれからの・・・捕物の段取りもある。昼飯が終わると、おなつは店へ帰って行った。
「私もそろそろ」
 挨拶をして、厩へ行き、馬を連れて外へ出た。
 律儀に外まで出た小鉄と馬五郎の見送りを受け、市場へもどった。

 とりあえず、東へ向う。母が以前に『安松ザルが欲しい』と言っていたのを思い出し、土産があれば言い訳もたつ、という、かなり儚い希望を立てたものだ。
 先ほど曲った露地を横目に(もしかしたらあいつと出くわすかも)ゆっくりと歩いたが、それ以上、事件は起こらなかった。
 3つ目の井戸を過ぎると、仲見世の列は終わって、いつもの町の風景に変った。
 右側に坂稲荷の石段がある。見上げるほどの大きな社だった。崖上から見たら、赤い屋根だったのを思い出す。軒先が紅い。稲荷神社らしく、狛犬の位置に狐の阿吽があった。
 『火伏の神、大家が此処で終わった』と立札にある。全体に赤い。
 馬をなだめて、立ち止まらせ、頭を下げた。
 坂はつづく。あがりきったところに仮屋根の小屋があった。そこが安松ザルの見世だった。
「かさばるからねぇ、市の親分に言われてね、ここを常見世にしてるのさ」
 たしかに筵2枚では納まらないだろう。安松ザルは、安松村の特産品で、市のある日には、当番が村を歩いてみんなが作ったものを集め、こうして売りに来るという。当番は3人一組なのだというが、相方は市へ行っているという。頼まれたものを買って帰る決まりだ。辰之助はまるで商人のようだと思った。こんなふうに頼まれたものを買って届けるのも悪くない。
「持って帰るのも大儀だからさ、全部売り切って帰るんだ」
 大きなザルとそのすこし小さめ、という風に大きさ違いの4つのザルを買う。本当は3個買ったのだが、おまけしてくれるというを、ありがたく受けた。

 安松ザルの見世は変則的な十字路の、南西側の角に立っていた。安松はあっちだという道は「引又道」というらしい。
「あっち側は、お客が少ないのさ、大八車とかが早足で通って行くからね」
 そして店前の通りは江戸道という。
「新道(しんみち)っていうけど、もう何百年も前の道だよ、おかしいよね」
 昔から江戸への近道なのだという。
 そして後ろ(西)へ伸びる尾根道は
「実蔵院ってしってるかい?昔の寺だよ。そっちまで行っているんだ。その先は勝楽寺村を通って八王子」
 なるほど、さっきの道に違いない。さっきの「崖上の道」。八王子の近道というが、それも初耳だった。
 坂を戻らずにその道へ入る。何か動きがあるかと、ドキドキしながら通って行ったが、あの隠れ屋根の家の前も何事もなく過ぎてしまった。拍子抜けしたが、それでよかった。
 実はこのとき、三助が忍んでいたのだが、辰之助には知り得ないことだった。

 馬を連れ、トボトボと尾根道を実蔵院の方向へいく・・・実蔵院の甍は道からはだいぶ下に見えた。尾根道は一本道で気持ちのいい風が吹きすぎて行く。遠くに青い山が見えた。
 尚も行くと、「久米の弁天池」という標石があった。眼下に大きな沼があって、赤い三角屋根が島の真ん中にあった。そのはるか奥には緑の丘がある。こどものころ読み物本で見た「将軍塚」というのがあるのかもしれない。夏の日はじりじりと暑い。昨日までの寒さが夢のようだ。そのまま、北野天神への道をたどり、目印で別れて、勝楽寺村の先を目指す。夕方には八王子に着けるだろう。
 今日の疲れがやっと襲ってきていた。水場を探して一息つく。馬連れだと水場を使うのもおおいばりだ。と、ちょっとおかしくなるのも、疲れのせいかもしれない。

 家は八王子よりもっと北寄りだが、到着したころには陽が落ちていた。
 母親にザルを渡し、桑を売った金を渡した。母にとっては思いがけない大金だったようで、たいそう褒めてくれた。
 井戸で体を洗い、用意してくれた食事をいただいて、話を聞きたいという母を制して、床に向うと迷いなく眠ってしまった。

 夢の女は今日の夢には出て来なかった。

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