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江戸時代を楽しむ・舟運

 お題、「最近の学び」に触発されて、今勉強していることを書いてみることにします。
 地域史のグループに入れていただき、市史などを読んでいます(はっきり言って、候・者とか一杯で読めない~~~)。グループのテーマがあるから、そうそう自由にやってもしょうがない(効率わるっ)はずなのに、もう、飛んで・跳んで、へぇーを重ねています。

 で。今日は大宮のレキミン博物館で見た舟運(シュウウン)にふらふら。

 この辺で大きいお城と言えば、川越藩、こちらは『お江戸今昔めぐり』にも掲載されるほど。老中クラスがかわるがわる城主をつとめていて(城主が結構変わっている・・・何々家が相続するわけではないし)、江戸情報も早い(という風に感じてます)。

 江戸のはじめのころ。
 川越の御殿様が、近くの沼から発する穏やかな川に目をつけて、蛇行を増やしてもっと穏やかにして、高速道路(舟だけどね)をはじめたのだそうです。
 (川は遡るのが難儀、曳舟舫ってたらしいよ、とは地域史の仲間の弁)
 その船着き場を新河岸、川を新河岸川といいます。

 川越周辺の物品を江戸に送る今ならトラック便(舟だけどね)。
 江戸は大消費地だし。米だけでは食事はできない、野菜・味噌醤油。あ。醤油は野田(千葉)か?生活雑器に織物、道具。炭・灰。
 一度着た着物を売り払う人もあったようで、着物・古道具・材木、そんなのが川を遡ったようです。
 千葉の肥料(イワシや干し魚)、土地改良剤いろいろも、川越へ。
 もちろん、途中で降ろして、近くの村にも届いていきます。

 上福岡のあたりに、船頭のたまり場があって、そのころの船頭の羽振りといったらすごかったらしく、寒村が町場になった、とか、お屋敷がすごい、とか、川沿いの各市町村が競って研究成果を書いていらっしゃいました。
 あ、これって、小説にならないかな、と資料あさりに思わず肩の力が入ったことは内緒です。

 引又河岸、というのは、武士が主になってはじめた、とか・・・武士の商売大丈夫だったんだろうか?と気になっています。(イマココ)

 新河岸川には10を超える河岸があって、それぞれに物語があるといいます。
 ・・・学びというのは、どうやら、学び自体で成長するらしく(調べる私がおいつかない)・・・ちゃんちゃん♪

#最近の学び


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