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富岡製糸場見学

 バスツアーに参加した。
 何年ぶりのことだろう・・・。
 そして、目から鱗の発見をした。
 バスに乗る前は、『女工哀史』の印象が強くて、気が重かったのだけれど、実は、工場運営のお手本となる官営工場だった。明治5年、機械式の製糸技術をフランスから導入。

繭から糸を取る手元、日産製。メンテナンスはトヨタなんだって。

 8時間労働、休暇アリ。2年契約、そのあとは全国の工場へ指導員として派遣。士族の娘が選抜で各地から呼び寄せられ、全寮制で食事もおいしく。かどうかは書いていなかったけど。全寮制・・・そういえば、疲れてしまって部屋までは見ていない。
 電気が無いから、太陽光をとりいれた(=夜間労働なし)近代的な工場で、きっかり8時間労働(途中休憩あり)だったのだという。
 フランスの機械だけでなく、当時労働法制の最先端、フランス雇用関係も導入したとのこと。当初の数年は、地方の工場の指導者養成機関という位置づけで、工女に要求されたものも高い。

 (次の画像)天井に蛍光灯はあるけど、点いてないでしょう?それでも簡単スマホでこの明るさ。足元ライトはご愛敬として。
 工場内に黄色いバケットが吊り下げられているのは、外で蚕(繭)を煮て、このバケットで工場内に配るため。外で煮るのは臭いのため。

案内の方が「明るさ」を強調してました。

 明治に建てたものが、ここまできれいに残っている、しかも工場として稼働していたのだからすごい。しかも外観は・・・レンガ好きには垂涎です。

 (次の画像)案内人推し「キングトラス構造」。実は私、これも大好き。
 渋沢栄一の肝いりで1年半くらいで作ったという、当時の大工の心意気が見える。

キングトラス構造

 工場を出て、振り返って写した1枚。こっちは東側。天窓の効果すごかった。ガラスも多用されていて、斯くや。

工場出入口。木骨レンガ造。木を見直した。ガラスを多用。屋根に明り取り。

 (次の画像)工場周辺、出典:グーグルマップ。注目は川!
 白い屋根は年間生産を可能にする繭置場「旧富岡製糸場西置繭所」こちらは、保存整備工事終了したそうです。真ん中より少し右にあるのが「旧富岡製糸場東置繭所」、この建物の柱とレンガと窓がすごく良かったんだけど、一枚も写真を撮らなかった。グーグルマップのストリートビューで場内を歩けるので、こちらをおすすめ。
 工場は、東西に長く作られている。
 繭を煮たボイラーが東西置繭所の間にある。案内人「(工事中の箇所があるので)お連れしないが、ここを見たら全部観たことになるかなー」とのこと。ここも私は行ってない。

グーグルマップ(切り取り画像)

 (次の画像)指導したフランス人技師・ポール・ブリュナ(主長)が住んだ家(主長館)。レンガ造が美しい。これが150年も前のもの・・・
 ポール・ブリュナ氏は、年俸9,000円、5年契約だったそう。ちなみに白米換算によると、今の1億円くらいなので、×5で5億円。
 明治政府と契約後、いったんフランスへ戻り、製糸工2名・工女4名をリクルート。指導員としました。

主長館

 コロニアル様式の工女館。フランス人工女4人が住み、全国選抜の日本人工女たちの指導に当たった。主に糸繰(繭から糸をつむぐ工程)。

 向こうにちょっとだけ見えるのは男性の製糸工の宿舎。仕事は、機械工・生糸検査人とある。

富岡製糸工場内

 この後、もう一つの遺産建物へ行き、お菓子屋さんの工場見学をして、帰りました。
 そういえば、飲み物の自動販売機があるくらいで、「富岡製糸工場」内では見学だけでした。



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