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剣客商売第12巻 第1話 白い猫

 小兵衛は昔、白い猫を飼っていた。お貞との切ない記憶が混じる。
 昨日、果し状が届いた。七年前、田沼の御前試合で対戦し再試合を約した剣客。その朝、小兵衛は、おはるに笑顔を残し、さりげなく出立した。
 もうすぐ着こうというとき、白い猫があらわれた。猫はとんでもないトラブルを連れて来た。

 今まで作ったものは「目次」記事でチェックいただけると嬉しいです。
 ではでは。机上ツアーにお付き合いいただけますよう。


地図(画像)

 ③伊関道場に滞留していた平山源左衛門は『②田沼様御屋敷の試合にぜひ出てみたい』といい、それが田沼の耳に達したおり『ぜひ秋山殿と対戦させてみたい』と仰せられ・・二人は対戦した。
 勝負は小兵衛が勝ったのだが、将来の真剣試合を申し込まれた。
 ③伊関の後ろ盾は田沼意次。⑭は、当時の小兵衛「四谷の道場」

7年前。二人は浜町中屋敷にて、試合をした。

その朝。

 前日。試合から7年後、小兵衛の隠宅に果し状が届く。
 昼頃までのんびりしていた小兵衛は、思い立ったようにして大刀を腰に
「帰りは遅くなるゆえ、大治郎のところに泊るがよい」
 小兵衛は元長で昼餉を取り(赤ルート)、駕籠(青ルート)で道灌山の崖下まで行った。(以下転載)
 ⑨日暮里の道灌山の崖下のあたりで駕籠をおりた。
 ⑨小道の左側は道灌山下をながれる小川で、右側は田地がひろがっている。・・・崖下で降り、JRに沿って北西方向へ行ったらしい。

小兵衛は駕籠をおりて、北へ向う

地蔵ヶ原へ

 『白い猫があらわれた』・・⑨駕籠を降りてすぐっぽい。この辺は畑。
 猫を見た浪人が戯れに殺そうとして、小兵衛に退けられる(一人は小川に落ちる)。浪人は⑩に取って返して、仲間を連れて小兵衛を追う。
 追いついたのは<ペットの専門店コジマ>あたりか?果し合いの前ゆえ、避けることとして、逃げた。
 逃げまどい『目の前の畑に⑪出作り小屋』に飛び込んだ。しばらくすると鐘の音が聞こえてきた(約束の時刻だ!)。鐘の音が聴こえるのは、2-3㎞だとのこと(広い場所の場合?)だが、そうすると西日暮里のあたりまで聞こえるようだ。ただ、鐘の音が終わって5分くらいで地蔵ヶ原に着いたようなので⑪に置いてみた。
 ⑫願正寺(当時は八幡宮別当が敷地内にあった)。その後ろに地蔵寺があるので、地蔵ヶ原は西とした。

地図データ

本文抜書の『51)』等は、文庫本のページ数です。
切絵図はお借りしています。出典:国会図書館デジタルコレクション

7)➀隠宅・・・明け方に小兵衛は外出した。

7年前

10)秋山小兵衛が、平山源左衛門と初めて会い、木太刀の試合をしたのは七年ほど前のことだ。
 老中・田沼主殿頭意次は、毎年、春から初夏にかけての一日をえらび、②浜町の中屋敷において剣術の試合を催す。
11)秋山小兵衛は、伊関忠八郎と共に世話人をつとめていた。
 そのころの③伊関は田沼老中の庇護を受け、③市ヶ谷の長延寺谷町に堂々たる道場をかまえていた。
12)③伊関道場に滞留していた平山源左衛門・・・
「田沼様御屋敷の試合にぜひ出てみたいと申し出おり、それが、田沼様がお耳に達しましたら、田沼様がぜひ秋山殿と対戦させてみたいと、仰せられましてな」・・二人は対戦し、小兵衛が勝利。いつか遠い日・真剣の試合を申し込まれた。

願正寺裏の地蔵ヶ原へ

15)秋山小兵衛は、④浅草の駒形堂裏の小さな料理屋〔元長〕で昼餉をすませていた。
 やがて、駕籠が来た。人の出さかりの⑤浅草広小路の方へ去った。
19)果し状によると、場所は、⑬西尾久村(現・東京都荒川区西尾久)にある願正寺裏側の地蔵ヶ原。
 時刻は今日の七ツ(午後4時)である。
20)⑥上野の山下から⑦坂本へ出て⑧根岸へ入り、上野の山裾で駕籠を乗り捨て、後は徒歩で地蔵ヶ原へおもむくつもりであった。
 ⑨日暮里の道灌山の崖下のあたりで駕籠をおりた。
 ⑨小道の左側は道灌山下をながれる小川で、右側は田地がひろがっている。

 ⑨(白い猫があらわれた)・・・そっくりじゃ、とおもった。
23)「おや、見送ってくれるのかえ・・・」
 道の向うへ二人の侍があらわれた。
24)侍は酒に酔っていた。抜き打ちに猫を斬ろうとした。
「何をするか」
 秋山小兵衛が叱咤した。
 ・・浪人の額を浅く切った。もう一人は小川へ・・・小兵衛は去る。
26)「矢嶋さん。このままではすまされませんぞ」
「む・・・み、みんなを呼んで来い」

平山源左衛門・待つ

 そのころ・・・。
 ⑬西尾久の願正寺裏の地蔵ヶ原に、平山源左衛門を見出すことができる。
 このあたりは、⑥上野の山下から一里余りのところだが、当時江戸の内へは入っていない。武蔵の北豊島郡大字船方であった。
 昨日、果し状を届けた若者(昌之助)の顔は日に灼けつくしていた・・

追手

28)秋山小兵衛が、自分を追って来る浪人たちに気づいたのは、それから間もなくのことであった。
29)後にわかったことだが、三月ほど前から、⑩下日暮里の外れの無人の百姓家に入りこんでいた。
 今は相手をしている時ではない。小兵衛は走り出した。逃げた。細い道をえらんで逃げた。目の前の畑に⑪出作り小屋があるのを見て、その中へ飛び込み、戸を閉めた。
34)・・・小屋の中で⑫願正寺の鐘の音を聴いた。まさに七ツを告げている。
(もはや、これまでじゃ)
35)畑道へ走り出た小兵衛を見かけて、畑道の前方から三人、道をはさんだ両側の畑へ踏み込んで来た四人と二人。
 ・・・

鐘の音の消えたとき

36)⑫願正寺の鐘の音が消えたとき、昌之助の顔に、怒りの血がのぼった。
「おじさまの勝ちです。約定の時間に遅れました」
「待て」
38)一瞬の間に、平山源左衛門の顔色がかわり、脂汗が浮いている。
39)もはや、平山に声も言葉もなかった。
 秋山小兵衛が⑬地蔵ヶ原へ駆けつけたとき、昌之助は凝然と座り込んでいたが、
「おのれ、秋山小兵衛」
叫んで、凄まじい小兵衛の姿を見ておどろきの目をみはった。

 平山源左衛門は、美濃の国・稲葉郡長森の郷士の家の三男
 大坂・一刀流・林武平の門人。
 同門で、親しくなった青木四郎太郎が昌之助の父であった。
 平山は後年、諸国の剣客をたずね孤剣をみがく生涯をえらんだが、青木四郎太郎は、大坂の四天王寺の外れに小さな道場をかまえた。
 ・・・平山は、半年の間、青木を看病し、亡き後、昌之助をつれ、大坂をはなれた。
「私が死んだら後は、願正寺の和尚どのをたよるがよい」
 願正寺の和尚は、長森の出身なのだという。

平山と昌之助

 小兵衛は夜に入ってから、⑭上野の北大門町に住む文蔵を訪ね、無頼浪人九名を斬ったことを告げた。翌日昼すぎ、無頼浪人どもは町奉行が捕えられた。


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