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地名抜き書き:「剣客商売」第1巻第1章『女武芸者』

「剣客商売」池波正太郎著。舞台は江戸。最初の設定:小兵衛まもなく60歳、2年前に道場を閉めて鐘ヶ淵に隠居。息子大治郎が4年前からの修行の旅から帰ってきたばかり。

第1話 女武芸者(〇数字はポイント(場所)、太字は場所のタイトル)

➀秋山大治郎 無外流の剣術道場:真崎稲荷明神社に近い木立の中(荒川が大川に変って、その流れを転じようとする浅草の外れ)

②田沼様お屋敷内にて剣術の試合:浜町の田沼家・中屋敷(別邸)
※本宅(上屋敷)は神田ご門内。

③父・小兵衛の住居:鐘ヶ淵をのぞむ田地の中の松林を背にあった。小兵衛の隠宅

(大治郎の道場の)近くの橋場町から大川を渡って寺島へ着く船が出ている。:④船着き場、船宿→不二楼とする。
 ⑤木母寺・⑥梅若塚・⑦白髭明神などの名所旧跡が点在している
おはるの実家:近くの⑧関屋村の百姓・岩五郎の次女で:京成線「関屋」駅とする。

不二楼:橋場(碑が残っている)

⑨菓子は、両国米沢町・京桝屋の銘菓〔嵯峨落雁〕

小兵衛、6年前までは四谷の道場主、⑩四谷・仲町

⑪浅草御門外の船宿・近江屋

永井和泉守:永井様の御屋敷は、たしか、⑫浅草・元鳥越だと思いますが
下屋敷が深川にございます(敵役)

⑬四谷・伝馬町の御用聞き弥七、「武蔵屋

田沼家、⑭神田・小川町の屋敷(田沼がまだ〔御側御用取次〕の)

剣客・牛堀九万之助:⑮浅草・元鳥越町に奥山念流の道場

三冬が通う道場:⑯市ヶ谷の井関忠八郎殿のご門人でござる。・・市ヶ谷・長延寺谷町にある

三冬:⑰根岸の寮。/⑱下谷5条天神門前にある書物問屋〔和泉屋吉右衛門〕がもっている(和泉屋から根岸の寮のあるだろう辺りまでのルート図:地図3を作成しましたので、掲載します)
⑳本所の四ツ目にいる念流の浅田虎次郎(敵役。永井和泉守に雇われて三冬を襲った剣客)
以上

(以下抜粋) ・・・泉屋から根岸の寮へ帰る道すがら。
 上野山下は、天台宗の関東総本山にして徳川将軍家菩提所でもある⑲東叡山・寛永寺の門前町(略)西に不忍池、南に下谷広小路をひかえ、さまざまの商舗・料理屋が櫛比し、仮小屋の見世物、茶店などが押し並んで(略)
 山下から車坂通りへ出(略)、左に切り立った上野の山、右に組屋敷が並ぶ道を坂本の通りへ折れ曲がって行く。
 この通りは金杉、三ノ輪を経て千住大橋へつらなる奥州街道の道すじにあたり、南側の町屋の灯も明るく、人通りも多い。
 善性寺門前をすぎ(略)坂本二丁目と三丁目の境を左へ切れ込んだ。(略)用伝寺の塀に沿ってななめ右へ曲った。・・・まもなく根岸の里。
 用伝寺の塀が尽きて、寛永寺領地のうっそうとした木立が右手にあらわれ

和泉屋から根岸の寮への道すがら(経路で表現できる?) をやってみました↓地図「3」です。

 ※地図にするとなんということもないルートでした。三冬はまっすぐ帰っております!!!物語だと、cとdの間、曲がってすぐ位に襲われています。

地図1:「場所」の住所で貼り付け。
 「女武芸者」では、「剣客商売」主要な場所がすでに登場。新宿区の辺りは、小兵衛の四谷の道場、井関道場(三冬は根岸の寮から毎日通う、6k位?)。井関道場から根岸の寮(寮の場所を「防災公園」と仮定)は、経路図(地図2として)を下に添付。
 皇居内北に田沼家屋敷(借家。幕府からの「官舎」)あるも未記載。
 一番南側は田沼家別邸。一番北は小兵衛隠宅。おはるの実家は記入してない(ミス)。この距離を朝早く出立、試合して帰るくらいの距離の移動(徒歩)は当たり前だったらしい。ひえっ、私はムリ。大治郎も一日30キロくらい歩いたし。江戸人は健脚だった・・・健脚といれたら剣客に転換・なるほど健脚商売、ね。

地図1:剣客商売「女武芸者」

根岸の寮から井関道場へ6.5k、現代人の足で1時間24分(グーグルマップ調べ)
 井関道場に通うならお屋敷(田沼本宅)のほうがよっぽど近い。田沼のお声掛かりで道場を開いたのだから当然か。
 下の灰色ルートなら、和泉屋の前を通ることになる。上野の山を越えるより、灰色のルートの方正解かも?

地図2:根岸の寮から井関道場(三冬はほぼ毎日通ったらしい)


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