【短編小説】殺意の蜷局 第1話
あたしはヘビだ。
言いたい言葉を全て呑み込んでしまうあたしは、食べ物を腹一杯食べて、お腹が風船のように膨らんでしまっているヘビなのだ。呑み込んだ言葉が一切消化しないから、あたしのお腹は破裂寸前になっている。
さっきから私の隣りでお鍋がグツグツと煮えたぎっている。夕食は、夫の好きな白菜と豚肉のお鍋を作った。だが今日がもう終わろうとしているのに、夫はまだ帰ってこない。帰ってくる気配すらない。仕事が忙しいと言っているが、女と会っているのはわかっている。
あたしは結婚して10年になる専業主婦だ。子供はいない。この10年という年月は果たして長いものなんだろうか。夫とは確か恋愛結婚だったはず。不確かな記憶を探ってみるが1ミリも思い出せない。
もう夫の事は何ひとつたりともわからないのだ。
ふと見ると、お鍋の中で白菜がドロドロと溶けていってる。夫が帰ってこないから煮込みすぎている。その事実に小さく落胆する。あたしの夫への感情もこの白菜のようにドロドロに溶けてしまえばいいのに。
そうしたら、あたしはヒトになれるのに。
鍵が乱暴に開く音が聞こえた。夫が帰ってきたのだ。今日もあたしの所に帰って来た。仕方なくという言葉が一瞬頭に浮かんだが、急いでかき消した。
「おかえり」
小声でそっと言ってみた。夫の耳には届かないぐらいの小さな声で。その瞬間、夫はあたしと絶対に目を合わさないようにして、そそくさと自分の部屋に逃げるように入っていった。お前とはもうやっていけないんだぞ、といわんばかりのわかりやすい態度を見せながら。
でもごはんだけは不思議に食べるのだ。
あたしを拒否しているのに、あたしの作ったごはんは食べる。理解不能だ。もしあたしが夫だったら、確実に嫌いになった相手が作ったごはんだけは食べない。食べたくない。毒が入っているかもしれないじゃないか。
愛情がなくなった料理に入っているのは、殺意という名のスパイスだけなのだから。
今日、あたしは夫を殺す。
(つづく)
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