【短編小説】殺意の蜷局 第3話
不覚にも夫の言葉に感動すら覚えてしまった。
そうか、今このお鍋に足りないものは水なんだ。野菜や肉に水分を吸われすぎてドロドロになっているのだから、水を足せばいいのか。簡単な事だ。
そこでふと疑問が沸いた。どうして夫は自分で水を足さないのだ。今あたしより先にそのことに気付いたんじゃないのか。
そう、夫は家で何もしないのだ。着替えたものは足元に、使ったコップはそのままに。
夫は長男で一人っ子だから姑が全てやってあげていたらしく、してもらう事に慣れている。というか、してもらう事が当たり前だと思っている。
「水、足したら」
思考の渦の中でもがいている状態のあたしに、夫の苛立った声が投げつけられる。二回も同じ言葉を投げつけられた。
あたしの中のヘビが、チロチロと赤い舌を出し始める。
「水ぐらい自分で入れたらいいじゃない。お鍋にもあたしにも水を入れてよ。あたしはあんたの横でカラカラに干からびてるのよ。何で気づかないのよ。花だって水をやらなきゃ枯れるのよ」
言葉をヘビが呑み込む。
あたしの中のヘビが舌舐めづりをしている。
そうか、美味しかったのか。あたしが辛くなればなる程、言葉は極上の味に変わっていくのかもしれない。
やりきれない想いを抱えながら、あたしは孤独に水を汲みに行く。お鍋に水を注ぎながら、結局あたしは自分で水を注ぐしかないのかと、暗い溜息が漏れてしまった。
水は生きているものに必要なのに、自分でなんとかしないといけないのか。結婚しているはずなのに。
「チッ」という舌打ちが聞こえた。
今の舌打ちはなんですか。
夫を見ると、さっきドロドロの白菜を見ていた嫌な目で、あたしをじっと見ている。きっとあたしは、夫から見るとドロドロの白菜なのだろう。ポン酢のおかげで辛うじて食べる事が出来る白菜なのだ。
ヘビと白菜、どっちがマシなのか。いや、どちらもヒトではないじゃないか。今すぐ夫を殺さなければ。
あたしがヒトに戻る為に。
(つづく)
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