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小説 あべこべのカインとアベル③ー栞の回想

 たん、たん、たん、とリズムをつけながら、螺旋階段を上った。両手で、胸元に赤い表紙の本を抱えて。


 私は、この手に書物がある、それに触れているというだけで、幸福だった。算数の教科書でさえ、文字が書かれているものはなんでも。私は私の名前の通り、書物のページを旅する栞のようなものだった。


 私の家には図書室と呼ばれる一角がある。父は英文学、母は美術史の研究者で、彼らは大の本好きだった。大量の本が私の家にはあり、それ専用の一角を、両親は家を改装までして作ったのだった。

 その一角は他よりやや前面にせり出していて、少し異質だった。一回と二階が螺旋階段でつながっており、一回のほうが断然天井が高くて、多くが吹き抜け状態だ。本の壁に囲まれ、読書用のいすやソファ、テーブルなどが置かれている。

 二階はちょっとした屋根裏部屋のようなもので、そこにはデスクと椅子、ベッドがある。もともとは、両親がここで仮眠をとれるよう(図書室で精魂尽き果てた時に)作られたものだが、私が物心ついた時にはすでに、私の第二の部屋になっていた。


 この時、螺旋階段の先の扉は、なぜか開いていた。頬に風を感じた。扉も窓も、昨日、最後に閉めたはずだった。

 父か母が開けたのだろうか?


 しかし、そうではなかったらしかった。その、外側に向かって開かれた出窓の縁に腰かけて、見知らぬ青年がそこにはいた。

彼は横向きで片足を立て、窓の外を見ていて、気持ちよさげに風に吹かれていた。


 歳はおそらく十代後半だろう。私も日本人にしては髪も目も色が薄く、時々どこかとのハーフかと尋ねられるが、彼は間違いなく、西欧の血が入っていた。たぶん、比率としては東洋の血が明らかに少ないか、入っていないか。

 肌は抜けるように白く、髪は薄茶色。なんだかこの部屋では窮屈そうなのは、彼の背が高く、足も長いせいだろう。


 囚われの騎士――わたしは、そのとき読んでいた本の影響からか、そう思った。憂鬱と勇壮さと気高さを持った人。


 ぱたん、と私は彼を見た瞬間に、持っていた本を落としたらしかった。知らない人が家の中にいるという不明さと恐ろしさからというよりも、美しい本の挿絵を目の前にしたようだったから。


 その物音でやっとこちらに気づいたのだろうか――私は螺旋階段をリズミカルに上ってきていたのだけれど――彼は、ふっと、私のほうを向いた。


 彼の茶色い眼は、どこか私を超えて遠くを見ているような印象を受けた。私が透明であるかのように。


 彼は何か、私にはわからない言語で、言った。

 わからないわ、と私は小声で正直に言った。


 すると、彼は、にこっとして頷いた。まるで私が正しい答えを引き当てたかのように。


 そして急に、私のわかる言葉で言った。

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