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小説 私だけの世界 Ⅲ、崩壊③

 母が帰ってきて、私はリクエストしたチョコアイスを渡された。

 大好物で、しかも今日の暑い日にはちょうどいい冷たさなのに、なぜか私は気分が悪くなった。アイスの冷たさがいつまでも喉元に残っているようだ。

 それとも、この気分の悪さはアイスを食べる以前からのものなのかもしれない。ただどちらにしろ、アイスを食べなければよかったと思った。

 そのあとのお昼には、遊びに行っていた優希も帰ってきた。私は早速、チョコアイスを食べたことについて文句を言った。

 「私、すんごく楽しみにしていたんだけど。お母さんがそのあと買ってきてくれたから、よかったけどさ」

 「だって、アイスはそのチョコしかなかったから……ごめんなさい」

 優希は謝り、友達からもらったというチョコパイをくれた。踏まれたような様子があったけれど、まあいいや、と思った。大人げないし、許すことにした。それに、アイスを食べなければよかったと後悔していたところだったし。

 お昼ご飯中もやっぱり、気持ちの悪さは残っていた。

 それをなんとかしたくて、そればかりを意識していたから自覚はなかったんだけれど、どうやら私は、ずっと喋りまくっていたらしい。優希に、

 「今日の姉ちゃん、ごきげんだね。いいことあったの?」

 と訊かれてしまうくらいに。私は、無理して笑みを作らなければならなかった。

 違うんだけれど。逆なんだけれど。

 人って、本当に落ち込んでいるときには、逆にハイテンションになってしまうものなのだろうか。

 でも、喋っている間、心はどこか遠くにいるようで、自分が二つに分かれてしまったみたいに落ち着かなかった。

 気づいてほしいのに。

 誰も、気づいてくれない。

 ふと、私は親友の顔を思い浮かべた。

 亜梨沙。彼女になら、打ち明けられるだろうか。

 私は心の中で問いかける。

 ……もし私が全部打ち明けたら、ちゃんと一緒に考えてくれる? おかしい人だと一笑したりしない? 離れていかない?

 おかしくなったのだと、気味悪そうな目で見られたら……たぶん私は、耐えられない。

 でも、このままじゃ。こんな不安を抱えて、私はこれからどうしたらいい。不意に高まる不安に怯えていかなくちゃいけないの? ひとりで?

 ――賭けてみようか。

 亜梨沙ならきっと、分かってくれる。親身になって話を聞いてくれるはず。

 私は、スマホを取り出した。

 まだ、午前中に悩んでいた数学の問題は解けていない。それを教えてほしいから、一緒に勉強しようと送ってみよう。

 簡単に文字を入れ、迷いが出る前にメッセージを送信。

 ……どうしよう、送ってしまった。

 心臓がばくばくしてきた。とりあえず落ち着こうと、私は自分の部屋の中を意味もなく歩き回る。

 別に、「相談したいことがある」と送ったわけじゃない。ただ単に、「分からない問題があるから、一緒に勉強しない?」と送っただけだ。だから……こんなに緊張する必要はないのに。

 なかなか、亜梨沙からの返事が来ない。既読もつかない。珍しいことじゃないので、いつもなら気長に待っているけれど、今日は違う。

 早く返事が来てほしい。――いや、やっぱり返事が来なくてもいいかもしれない。

 どうしよう。もし一緒に勉強することになったら、私はどうやって切り出せばいいだろう。あの少年に会った話からだろうか。

 様々な場面を考えながら、私は部屋を歩き回った。時には座り込み、やっぱり落ち着かなくて立ち上がる、という行動を繰り返しながら。

 十分ほど経っただろうか。

 受信の音が鳴って、私はとび上がった。

 メッセージの差出人は、亜梨沙だ。

 震える手でスマホのロック画面を解除し、読んでいく。読むうちに、私の心は落ち着きを取り戻していた。文字を見た瞬間から、頭では理解していた。あとは、だんだんと心にも理解をさせるだけなのだ。

 文は、簡潔とは言えなかった。謝る時、亜梨沙はいつもそうなる。ごめんなさいというお詫びが、長くなってしまうのだ。誠意が伝わるので、それはそれで彼女らしいけれど。

 だから、つまり、私の誘いは断られたということ。

 今日は塾なのでその準備をしなくちゃいけない、ママのお手伝いをするという約束をしてしまった――そういうような理由が、書かれている。

 私は少し、ほっとしてしまった。けれど、少しがっかりもした。

 きっと、「会って相談したいことがある」と送れば、亜梨沙は塾や約束を放り出してでも、私のもとへ駆けつけてくれるだろう。そう思えるだけの信頼を、私は亜梨沙に持っている。それだけの年月も、また。

 けれど、そこまでする必要があるんだろうか。

 亜梨沙とのメッセージのやりとりで、図らずも日常に引き戻された。そのことで、変な気持の悪さは、だいぶ薄らいできている。

 自分の気持ちながら、不思議だった。

 たったここまでの時間で、気分というものは何度も変わる。今日が始まってから、私の気分は何度変わったのだろう。恐怖を感じるくらいに追いつめられていた時もあれば、友達からのメールの返事を緊張しながら待っていたりもする。

 このまま、気持ち悪さも感じた恐怖もすべて薄れて、永遠に消え去ってくれないかなあ。

 こう考えることは願っていることと同じではないかと思ったけれど、考えることをやめはしなかった。少年が言ったとおり、私が願うことでそれが叶うのならば、いいじゃないかと思ったのだ。

 今回だけは、そう、恐怖をなくせるのならば。

 私は懸命に、恐怖をなくしたいと願った。


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