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小説 あべこべのカインとアベル⑦

 落ちていく彼の姿は、一瞬だけれど、まるで静止画のように、私の目に焼き付いている。

 彼の左手はまだ本の表紙を掴んでいたけれど、何百枚というページは風に踊らされて捲られていた。両手両足を無防備に投げ出して、でも、彼のその顔は。

 驚きでも悲しみでも、ましてや恐怖でさえなく。

 正解だとでも言いたげな微笑みを浮かべていた。


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 次に目が覚めた時、私は病院のベッドの上だった。

 覚えていないけれど、私はカインを突き落とした窓から地面に落下したらしい。

 けれど、誰一人としてカインのことを口にしなかったし、地面に落ちていたのは私一人だけだった、と言った。そもそも君は、一人っ子なのではなかったか? 病院のスタッフは、暗にそう言っているように思えた。

 カインは村崎家から出ることはなかったから、私と両親以外の人間が彼の存在を知らないのは当然といえば当然だった。

 しかし、ひと月の間カインと暮らしてきた両親もまた、彼のことは一切口にしなかった。一度、退院時に、「カインは?」と両親に尋ねたことがある。彼らは何も言わなかった。ただ悲しそうに首を振るだけだった。

 彼らの意思を明確に理解したわけではなかったけれど。――私はそれ以降、カインの名を口にすることはなかった。

 私はカインのいなかった日常へ戻った。

 村崎の家には、カインのいた痕跡は残っていなかった。もっとも、彼の私物はほとんどないに等しかったし、うちには予備の食器はたくさんあったし、父の若いころの服(しかも未着用)も箪笥の肥やしになっていたから、わざわざ買いそろえたものもなかった。

 たった一つ、明確に物質的な違いがあったとすれば、私のお気に入りだった赤い表紙の本が亡くなっていたことだけだった。

 もはや、その著者や題名すら、思い出せないけれど。あらすじも大まかにしか思い出せないけれど。

 私は感じた。頭ではなく心で。それを何度も繰り返し読んだ記憶を。

 そして、私はカインの存在もまた、頭でなく心で感じている。

 物質的な違いは一冊の本だけだったが、私はカインを知る前後では大きく変化していた。

 あるカウンセラーの言葉を借りるなら、私は博識で知識欲が旺盛で、愛嬌があるらしい。

 窓からの転落事故、そして迂闊にも入院時に、いないはずの「兄」の存在を何度か口にしてしまったことから、誰かが手配した(たぶん両親ではないと思う)カウンセラーは、やがて、私には何の心理的問題や不安要素はないと言った。

 カウンセラーの評価は、カインと出会う前の私ではありえない。人前ではほとんど話さない、無表情の女の子に下される評価としては。むしろ、それは、私がカインに抱いた印象とそっくりだった。

 そこで、私は、理解したのだ。自分の試みが成功したことを。

 私はカインである。彼を殺すことで、私のなかに彼を引き留めた。そして、彼は私であり、私の才能であり、いつでもそばにいる。

 私は兄を殺して、彼のすべてを取り込んだのだ。空気のように、水のように。生きるために必要なものとして。

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