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2019 1019 科学的にも哲学的にも生きてる

大学は色んなことを学んでる人がいるからおもしろい。他学部の子と話すことで色んな分野について知ることができるいい環境。

な訳ねえじゃねえかバカ野郎と、いつか思った。そんなコミュ力がどこぞにあんのよ。出会いがねえ出会いがねえて声が上がる中で、そのような学びのいい場に出会えるなんて、ちゃんとコミュニケーションとれるザ★大学生みたいな奴なんだろうなあと。

今日はバイトの地区リーダー集会みたいなのだった。集会自体よりは、先輩リーダーとの話in行き帰りの方が印象は強い。

色んな哲学の質問をオレなぞにしてくれて、おもしろい量子力学の話をたくさんしてくれた。自然科学を否定する哲学者に先週は触れていたため、なんとなく科学に否定的な感情があったのだが、哲学と絡む部分がたくさんあるっつうことで、5000回くらい相槌打ったし、科学すげえじゃねえかって思った。

その人は研究者を目指されている。オレが最近将来どうしようか迷い気味なこともあり、「なんで研究をしようと思ったんですか?」と聞くと、「物理に触れていると心が楽なんだよね」と言っていた。そういうものに出会えた自分はラッキーだとも。

「研究じゃないかも、とか迷ったりすることはないんですか?」と聞くと。「信じる自分を信じようっていう好きな言葉があって」と言って、自分は凡人だからと思って、別の道があるのではと考えるより、この道で合ってると信じているらしい。話を聞く限りあなたは明らかに凡人ではありませんと思うのだが、その生き方は素敵だなと思う。

 物理は自分が死なないためのものなんよねと言っていた。その「死ぬ」が、いつもオレが思ってる死ぬと似ていると、すぐわかった。その先輩は定期的に何もしたくなかったり、誰とも連絡を取りたくなかったりする時間が来るらしく、それを死ぬと表現しているらしい。

オレは今年大体死んでいるなあと思っていたので、ものすごく共感してしまい、先輩が大学に上がると言うからなんとなくついていった。まあまあの雨の中、雨音に負けないよう声を張って話しながら大学への坂を上っていた時間は、2人揃って生きようとしていたように思う。

量子力学の話は正直めちゃんこ難しかったけど、話している時の先輩の目がギラギラに輝いていることは、科学的に証明できそうであると思っていた、10月19日である。

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