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着の身気ままにニュージーランド vol.6 ~ホストマザーの女優デビュー~

「私、女優になったのよ!」

ホストマザーのシェリーンはある晩、私にそう言ったのだった。私たちは間もなく夕飯を食べ終わるころで、窓から差し込んでくる夕陽がきらきらと彼女の褐色の肌を照らしていた。

シェリーンは教育専門の講師だったはず。平日はいつも自宅でパソコンに向かっているのを私は見ていたし、女優である片鱗を見たことも聞いたこともなかった。
一体どういうことかと、私が目を丸くして何も言えないでいると、彼女は「明日あなたに見せるわ!」といって夕飯を片づけ始めた。

結局なかなか都合が合わず、すべてを聞いたのはその3日後だった。

ニュージーランド国内の配信サービス(ネットフリックス的なやつ)で観られるドラマに、彼女は人生で初めて役者として出演した。シェリーンの娘の友人が映像制作の仕事をしていて、「アラビア語が話せる母親役を探している」という話がエジプト出身である彼女に届き、大抜擢されたのだった。

“Miles From Nowhere”(私訳:どこからも遠く) と題されたそのドラマは、ニュージーランドで暮らすムスリム(イスラム教徒)たちを題材にしたコメディ作品。

主人公である青年ザイールは、定職につかず音楽バーに通う日々を送るムスリム。ある日、礼拝のためモスク(祈りをするための集会所)に行くと、ザイールの友人が「内戦の続くシリアに募金をしよう」と声をあげ、その場にいたムスリムの間で賛否を巻き起こした。このモスクでの一連の様子はSNSを通じてライブ配信され、あろうことか、ニュージーランド国内の人々に彼らがテロリストであると誤解されてしまう。その場に居合わせたザイールにも当局から捜査が入り、ザイールはもちろん大勢のムスリムたちの生活にも大きな影響が出始める…。

シェリーンによればSNSの動画を通じた一連の誤解や出来事は、数年前ニュージーランドで実際に起きたことらしい。社会的なメッセージを含んだこの物語は、あくまでもコメディドラマという体裁をとることで世に出ることができている、とシェリーンが言っていた。

この物語の中で彼女は、主人公ザイールの母親役として出演している。
第一話の冒頭は、朝遅くまで寝ているザイールをシェリーンがたたき起こすシーンから始まる。
「あんたこんな遅くまで寝て!はやく起きなさい!毎日毎日何してるの!!!」みたいな感じのことを浴びせていた。それと、テロリストの疑惑がかかる息子ザイールへ当局から捜査が入ったシーンでは、職員にわからないようアラビア語で悪口を言いまくるなど、肝っ玉母ちゃん的なキャラ満載で演じていた。

実際には、彼女はマダムのような雰囲気の人で、いつも思慮深く愛情にあふれた接し方をしてくれる。そんな彼女が画面の中で、大声でキレ散らかしながら息子をたたき起こすのだから、演技の力ってすごいなとびっくりしてしまった。

観終わった後、やさしい間接照明が部屋を照らす中で私たちはソファーに座って話をした。私が「最初のシーン、まじでオカンみたいだった」と伝えたら、「みんなそうやって言うのよ!『まるで私のお母さんみたいだった』って」と白い歯をいっぱいに見せながら笑う。

そのあとは、ムスリムの暮らしをたくさん教えてくれた。ムスリムの女性が顔を隠すためにする「ヒジャブ」と呼ばれるスカーフは、着用することが自由であること(一部の国ではしなければいけないらしい)、毎週金曜日の午後3時頃からお祈りが始まること、イスラム圏では金曜日と土曜日が休日だから基本はお祈りに行けること、でも金曜日が休みじゃない人は仕事のお昼休みにお祈りに行くこと、同じイスラム教でも同じ考えや支持をする人ばかりではないこと、そして豚肉を決して食べないことも。

ヒジャブに関しては私が「みんなしないといけないんだと思ってた」といったら「しなければならないと思っている人が大勢いるところでは、しなければいけなくなるわね」とシェリーンは言っていた。

豚肉に関しては、私が「一度も食べないの?スープも?」と聞いたら「Never」と一番強い否定形で答えていたから、本当に口にしないんだと思う。でも彼女は「私が作る料理は豚肉がないけれど、もちろん、あなたが食べたかったら買ったり作ったりして食べていいのよ」と言ってくれる。わかってはいるけれど、わざわざ言葉にしてくれるのは、他意のない彼女のやさしさなんだと思った。だから私はいつも、彼女の言葉をまっすぐに受け取ることができている。

それから彼女自身、さっきのドラマで描かれた、シリアへの寄付を呼び掛けた青年の動画を実生活で目にしたとき「彼はテロリストかもと思った」とも言っていた。
彼女はよく一人でいるときにアラビア語のニュースをテレビで流している。ガザやシリアの映像が流れるその画面の前で、彼女は何も言わず、真剣な顔をして。そして世界の政治ニュースも注視して、どこの国が誰を支持しているのか、時々話してくれる。

世界は広くて、狭い。遠い国の出来事だと思っていたことが、身近なことに変わっていく。高校の世界史の教科書に載っていた、自分とは遠い存在だと思っていたムスリムの生活が、自分の暮らしとそう変わらないことに気づいた。日々の生活の中で、それまで知らなかったことが、知っていることに変わり、身近な人と共有する大切なものになっていく。世界の遠い国のニュースは、ひょっとしたら身近な人の大切な場所だったかもしれない。

ニュージーランドは、どこの国からも遠い。あのドラマは、すべての大陸から離れこの国で生きるイスラム教徒たちを描いた。なのに、私は今、日本にいた時よりもずっと、世界を近くに感じている。


つづく
**「スキ」を押してもらえるとヤル気出ます!**

載せる写真がなかったので、本文と関係ないものたち

ニュージーランドの満月。たぶん、日本で見るのと模様(クレーター)か、角度が違う気がする。
バスの中から。公共道路には「バス専用車線」的なのがあるから渋滞に巻き込まれることが少ない


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