見出し画像

栗木義夫アーティストトーク(4/30)

今回は4/30に開催したアーティストトークの様子をご紹介します。
当日は大変多くの方にお越しいただきました。
ご参加の皆さま、ありがとうございました!

アーティストトーク会場の様子

・話し手:栗木義夫(本展出品作家)
・聞き手:加藤恵(清須市はるひ美術館 学芸員)


※以下、撮影:谷澤陽佑

左:栗木義夫・右:加藤恵

加藤:本日はたくさんの方にお越しいただきありがとうございます。
まずは、展覧会が無事オープンして、ご自身で展示をご覧になっていかがでしょう?

栗木:この展覧会のお話をいただいたのが昨年(2022年)の秋頃でした。その時は自分の活動を振り返るような展示ができたらいいと考え、展覧会の方向性が決まりました。自宅のアトリエに残っている作品を担当の加藤さんと相談しながら決めていって、今回のかたちになりました。

加藤:開催に向けて栗木さんとはいろいろなお話をさせていただきましたね。過去の作品や展覧会の記録写真も見せていただき、展示構成や出品作品をご相談しながら決めていきました。
当館は絵画の公募展とともに歩んできた歴史がありますが、立体も平面も同等に制作されている栗木さんの展覧会によって、また違った絵画の見かたを考えられるのではないかという企画意図もお伝えしながら、一緒に考えていただきました。

(展覧会の趣旨については前回のブログをご覧ください。)

栗木:自分の中ではやはり彫刻が基軸になっていて、自分の考えている彫刻の世界をどう展開していくかが表現のグラウンドになっています。当然「彫刻とは何か」と言い切れる答えを持っているわけではなく、今も問いを抱えながら、人生の中でどのような表現が可能かを模索しつつ、立体を制作し、その中で必然的に絵を描く。「絵画」と言うと難しい解釈が入ってしまうので、自分にとってできうる「絵」は何かということになりますが、日常の中で彫刻という問題を考えながらメモのように記録していくのがドローイング。そのドローイングから想像しうるフォルムを、立体や自分の考える絵の世界の表現へと種別していく。それらを与えられた空間にどう配置するか、壁や床を使ってどう表現するか、それが彫刻ではないかと今は考えています。

《Untitled》1979年

加藤:今回の展示は栗木さんが学生の頃の作品から近年のものまで出品していただいています。展示室2の入口にある人体彫刻は学生の時に制作された作品ですね。当時は人体を彫刻することが多かったですか?

栗木:学生の頃は先生の考え方に影響を受けましたが、教授も自身が学んできたものの見方で学生に伝えるので、まじめな学生ほどその目線で考えるようになってしまう。大学卒業後、さまざまなチャンスの中で作品を発表してきて、ドイツで初めて個展を開催した時(2012年)に「なぜ作品をつくるのか」という話になり考えさせられました。そこから、自分の大学時代は何だったのかと考えるようになり、先生たちから教わったことと、自分がしたいことにズレがでてきました。表現するのは自分なのだから、先生たちから教えられたことをどう排除するのかということに気づかされた。自分は気づくのにとても時間がかかってしまったのですが。。。

《OPERATION》(部分)1989年

加藤:栗木さんが学んだ日本大学の美術科では、当時、彫刻家の柳原義達や土谷武が教えていましたが、彼らから彫刻とは何かを教えられ、そこから自分の表現とは何かを考えだした時に、この鉄板に溶接をする表現に移行していったと思います。その変化について当時はどのように考えていたのでしょうか?

栗木:当時、日大の彫刻科では素材研究で石、木、テラコッタ(素焼き)、鋳造や金属など、素材の習得を3年生の半ばまでやっていました。土谷武が鉄の素材を得意とする作家だったので、学生たちも鉄は身近な素材でした。通常、鉄は量産された製品を加工して扱うのですが、たとえば、イカを天日で干すとかたちが反ってスルメになる。鉄も熱を加えることで同じ状況が起こる。鉄板に溶接をすることで自分との距離感が近くなるような、自分のものになり始めるような感覚が面白くて、夢中でやっていました。

加藤:私も今回はじめて栗木さんのアトリエで溶接を体験させてもらったのですが、やっぱりとても難しくて、作品のようにまっすぐで均等な線がなかなか引けなかったです。

《Untitled》1993年

栗木:この作品(《Untitled》1993年)は、4×8(シハチ/1230×2430mm)というサイズで厚み12mmの鉄板3枚を、当時使っていた10畳くらいの広さの工房の床に並べて表裏に溶接しました。溶接は「グラウディング」という方法をとるのですが、鉄板を耕すイメージというか、表面を荒らして掘り起こす、それが新しいものをつくり出してくことと共通しているように感じていました。理屈ではなく自分の興味から素直に入って、ものができていくことに感動したんですね。これがシステム化されると感動が薄れてしまう。

加藤:溶接を体験させてもらった時、栗木さんに「鉄板を耕すようにやってください」と言われて「どういう意味だろう?」と思いました。

栗木:溶接を用いた自分の作品では最大級のものになります。鉄板の両面を溶接した後にカットして解体し再構築しているのですが、カットした鉄板1枚が約30kgあります。

加藤:計算すると全体で2トン以上の重量になりますね。
一般的に「溶接」は金属と金属に熱を加えることでつなぎあわせて一体化させる方法ですが、私も実際に体験させてもらって、自分一人の力ではどうにもできない鉄という重くてかたい物質を高熱によって変化させるということが、何かをつくりだす根源的な行為のように感じました。

壁面に展示されている紙の作品は、新聞紙でつくった再生紙を使って鉄板の表面を写し取ったものになります。この制作はどのような考えだったのでしょうか?

《Untitled》(部分)1993年

栗木:解体(カット)する前の状態をどう記録させるかについて考えたことがきっかけでした。ただ、このサイズの和紙は単価が高額であることなどから当時の自分には限界だった。小原村に紙漉きの友人がいて、畳一畳分のサイズを漉くことはできたが、シハチになると技術が必要でつくることができなかった。その友人のアドバイスで、新聞紙は繊維が残っているので和紙に近い素材だというアドバイスを受け、新聞を36時間煮込んで泥状態にし、適度な状態で水と攪拌させ、網戸にのせて繊維だけを残す方法で紙を制作しました。その紙を鉄板に水ではり付けることで、鉄と水が反応してサビが発生し、紙がそれを記録する。この制作も自分の中に文脈(理屈)があって仕掛けたわけではなく、当時やってみたかったことを優先していったらこうなった。こうして展示してみると、当時のアートシーンを席巻していた国内のもの派や、イタリアではアルテポーヴェラの動向など、その時の作家たちがやろうとしていたことを振り返って見ているような気がしています。

加藤:私も展示された状態を観て、制作された当時の状況やそこで話されていたことを作品が含みこんでいるような感じがして、当時から現在までの時間の蓄積を感じました。

栗木:制作した時に新聞記事の文字が残っていてもっと煮込めばよかったと思った記憶があるので、よく見るとどこかに文字が見つかるかもしれません。今思うとそういった新聞の性質も作品に閉じ込めれば面白かったなと思ったりします。

(手前の作品)《Untitled》2006-2023年

加藤:今回出品していただいた、テーブル状の作品(《Untitled》2006-2023年)を観て、栗木さんが制作の中で大事にされている「手探りで思考する」というテーマをよく表しているのではないかと思いました。

栗木:彫刻の概念として「Crafting(クラフティング)」、手を通して考えるということがあります。ものにタッチして、その手触りによって五感が刺激される。特に立体は興味があると触りたくなりますよね。触る行為の中でものを確かめる、それは人の根源的な行為だと言えます。僕たち彫刻家はそういったものごとの考え方、見方をする。彫刻の三要素として「カーヴィング」「モデリング」「カルチベーション」があり、そこに根差した指向性が彫刻家の哲学のフィールド(領域)だと(日本大学で教わった)柳原義達、土谷武は言っていた。それは正しかったと今でも思っている。その問いかけに対して、自分らしさを掘り起こしていくためのドローイングであったり、スタイルに陥ることなく表現を絶えず変化させていくことが重要で、それが彫刻ということだと思っています。

加藤:本展の展覧会名でもある「Cultivation(カルチベーション)」は、耕す、耕作といった意味ですが、最近は頭を耕すとか、地域を耕すといった比喩的な使われ方をすることもありますね。栗木さんにとってこの言葉はどんな意味を持ちますか?

栗木:自分らしさとは何か、どこにあるのかという問題があり、それは「人と自分は違う」という考えが前提になっているのだと思います。日常の中で出会うものがあり、記憶の中に入っていく。それが蓄積され、攪拌されて、ドローイング*としてビジュアル化されることで確かに自分のものとして身近に感じるものになります。

《Untitled》1979-2023年 の一部として展示されたドローイング群

加藤:ドローイングをすることが栗木さんの制作の中で重要になりますね。

栗木:ドローイングはかれこれ30年くらい取り組んでいます。近年は国内でもよく使われる手法ですが、多くのドローイングは自分の考えるものと少し違うように思います。言葉としてはデッサンの中の一部にドローイングというものがありますが、自分の意志が介在していないような、ただものを見たまま写し取るといったことではない。例えば線を引くと描いた人の性格が出ますよね。書道でもかっこよく書こうとすると先生からバツをつけられてしまったり。ドローイングも同じで、かっこよく描こうとしても自分との距離は埋まっていかない。距離を近づけるにはとにかくたくさん描く。僕たちはイメージの世界で生きているわけではなく、どこかで具現化して対峙しないと物事を理解できない。そこで対峙出来うるものは、自分から素直に出てきたものを、自分で客観的に意味を理解して判断するということだと思います。

*ドローイング:デッサンやスケッチのように見えているものをそのまま描くのではなく、自分の記憶や心の中にあるものを描く方法といった意味で「ドローイング」という言葉を使っています。

《Untitled》1993年を前にお話しする栗木義夫

来場者からのご質問

___鉄の作品で、鉄板のかたちを変化させることに対して魂(たましい)のような意識はありますか?

栗木:溶接は単純作業を繰り返す行為で、時間と集中力を要します。なぜこんなことをするのかという、心の問題になってくる。心無くしてものはつくれないですね。

加藤:1991年にギャラリー山口で開催された栗木さんの個展に関する論評*の中で、栗木さんの作品とアニミズム*を関連付けて書いているものがあるのですが、それに繋がるご質問だなと思いました。後世に残る作品には制作者の思考や手つきが宿るということは言えるのかもしれませんね。

*橋秀文「栗木義夫」、『美術手帖』643号、株式会社美術出版社、1991年9月、p203-204
*アニミズム:すべてのものに霊魂が宿っているという思想や信仰。

___色についてはどのように考えていますか?

栗木:自宅やアトリエの周りは自然の多い環境なのですが、四季による色の変化が自分の中の色を決定しているように感じます。日本人の持つ色の感性については、これからも自分の表現の中で考えていきたいと思っています。

___《Untitled》(1993年)は、展示によって形状が変化しているとのことですが、そのかたちの発想はどこから来ているのでしょう?

栗木:この作品では、溶接したシハチの鉄板を人の力で持ち上げられる単位(約40×60cm)にカットし、それを立体化させるため躯体に引っかけるという方法を考えました。発想のもとは、稲刈り後の干しわらのかたちが、東北や関東では円形、関西では四角く平面的に干すという違いがあると知ったことから、展示場所の地域にあわせて変化させています。当初はその土地の風土から生まれるかたちや状況を自分の表現に取り込むといった意図だったと思います。今回の展示ではそういった意図は考えず、ただ鉄板を躯体に引っかけるということをやってみました。今回のかたちが一番しっくりきています。

___ドローイングのお話で、栗木さんの中で数種類あると言うお話がありましたが、どういったものがありますか?

栗木:音楽の旋律のように(感覚的な)線で描いたものと、自分の記憶をたどって生まれてくるもの、その両方が混在したようなものがあり、そのドローイングから触発されてまた描くことで成長させていったりします。描いたものがそのまま見えてしまうのは自分にはつまらなくて、自分にしか分からない絵が生まれてくるまで(描き続けながら)待つことができるようになるといいなと思います。
例えば支持体(紙やキャンバス)の向きを変えたり、モチーフを置く机の角度を変えたりすることで見え方はまったく変わる。そういった見方の変化を日常的にできる環境を整えることが大事だと思っています。


展示作品とお話を通して、栗木さんの制作に対する考え方の深い部分にふれることができたように思います。
栗木さん、ありがとうございました。

6/24(土)は2回目のアーティストトークを開催します。
1回目とは違ったお話になる予定ですので、ぜひぜひご参加ください。

栗木義夫 CULTIVATION-耕す彫刻
http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/kurikiyoshio/