【ショートショート】花の色は

 何の変哲もないアスファルトの道がどこまでも続いているような気がした。畑や雑木林しかなかったところにはピカピカの建売が並んでいる。あの頃は小さな駄菓子屋しかなかったのに、今は目の前に大きなコンビニが建っている。むかしは木造だった駅舎もいつの間にか自動改札がついた二階建てのきれいな駅になっていた。たった五年訪れなかっただけで母校の周りはすっかり変わってしまった。自分だけが今も五年前に取り残されている。まさか学校まで変わっていやしないか。そんな考えが頭をよぎった。

 たどり着いた母校は以前と変わらぬ佇まいだった。百年以上の歴史の中で一度だけ移設したというその校舎は築三十年程度のものだが、それ以上に古く感じる。やたら広い敷地のそのほとんどが煉瓦畳だからかもしれない。もちろん校舎の外壁も煉瓦造りだ。初夏になると毬のように集まった黄色い小さな花が校舎に入る階段沿いに咲きほこる。創立当初卒業生にしか株分けされておらず、この花が庭にある家は学校関係者であるといわれたほどだった。

 そんな母校にもうひとつ、シンボルのような花がある。敷地をぐるりと囲み、校門から昇降口までの道沿い両側に植えられている桜だ。赤煉瓦に薄紅の花弁、青い空が妙に映える。他の桜を見ても別物と思えるほど強い魅力があった。春になると必ず見たくなる。五年も足を運ばなかったくせにと自分でも思う。しかしどうしても今、母校の桜を見なければならない。私はまるで魔法にでもかけられたかのように桜に吸い寄せられた。仕事を休んでこんな片田舎まで二時間半かけてやってきたのだ。抗いようのないそれを桜の魔力と言わずして何と呼べばいいのだろう。

 五年ぶりに見る母校の桜は満開だった。風に揺れてはらはらと散っていく花弁が美しい。校舎までの道に花びらを敷き詰めて、ただ静かに立っている。校舎裏に回ると土手に菜の花が咲き誇り、黄色と薄紅のコントラストがまぶしい。これぞまさに春の風景というにふさわしい。時が時ならば歌に詠まれた風景だろう。

 ざあっと一際強い風が吹いた。花びらが舞う。私は思わず目をつむった。と、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。さっきまでの快晴が嘘のようだ。私は慌てて駅までの道を引き返した。様変わりしているとはいっても住宅街にすぎず、雨宿りができるようなカフェなどはない。コンビニも駅も距離は変わらないと急いで走り出した。

 あっという間に土砂降りになった。これではせっかくの桜も散ってしまうだろう。花散らしか、と思った。そうでなくても花の一生は短い。美しく咲きほこったかと思えばあっという間に散ってしまう。なのに雨。この強い雨さえなければあと数日は美しい姿を拝めただろうに。なんて憎らしい。

 まるでスコールかと思うほど雨脚は強くなり、駅に着くころには頭の先から足の先までずぶ濡れになった。シャツもスカートも絞れそうだ。濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪い。下ろしたままの髪の毛からボタボタと雫が垂れる。思わず大きなため息が漏れた。

「あの」
不意に声をかけられた。どうやら雨宿りには先客がいたようだ。母校の制服を着た男の子がタオルを差し出している。
「これ、使ってください。」
男の子の髪も湿っている。見ず知らずの男の子、しかも一回りは違うであろうその子から借り物をするのは気が引けた。思わず目線が下がる。
「あ、私は大丈夫。きみも雨に降られたんでしょう?自分で使って。」
「僕、もう一枚持ってるんで。」
彼が一歩踏み出した。
「これは、おねーさんが使ってください。」
ふわ、と肩にタオルをかけられる。顔を上げれば穏やかにほほ笑む彼と目が合った。
「―――ありがとう。」
「どういたしまして。」
そういって彼はもう一枚タオルを取り出して、わしゃわしゃと自分の髪の毛を拭いた。
「それにしても、急に降るなんてびっくりしましたね。天気予報は嘘つきだな。」
「そうね、驚いた。桜、散っちゃうんだろうな……。」
「……おねーさん、桜見に来たんですか。」
「そう、母校だから。」
私がそう告げると、彼はへえ、と言ってこちらを見た。
「じゃあ、先輩ですね。」
その柔らかな笑顔がやけにまぶしかった。

 この出会いは桜の魔力ががもたらした奇跡か、それとも偶然か。彼の身に着けている制服に複雑な思いを抱きながら、雨が止むまで二人駅で過ごしたのだった。


以前別名義にてこれの短編を書き、ボイスドラマの台本として寄稿しました。今回はそのお話をもっとじっくり描いたショートショートになっています。


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