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映画『エゴイスト』を見て感じた意外なことーヤングケアラーと低賃金問題ー

平日の昼に劇場の席が半分埋まる人気に驚く

 今日の午後、2月10日の封切り以来、ずっと見たいと思っていた映画『エゴイスト』を柏のキネマ旬報シアターで見てきました。金曜日に終わるので、危なかった!! 映画ってシネコンの上映期間は短いし、ブルーレイが出ると同時に動画配信がスタートするので、つい先延ばしにして終わってしまうことが多いのです。舞台のチケットは高額なので、万難を排しても劇場に足を運ぶのですが。でも、この映画だけは予告編を見て、原作も読み、どうしても映画館で見たかったのです。

 キネマ旬報シアターはお助け神のような有難い映画館で、新旧の名画をシネコンの上映が終わった後に上映してくれます。この映画館が近くにあって本当によかった。今日は私と同じ気持ちの人がたくさんいたらしく、平日の昼間だというのに、客席は半分くらい埋まってました。それも99%が女性です。新宿の映画館なら違うかもしれませんが、ゲイとかBLモノが好きな女性が増えてる気がします。
姪は最近、タイのBLドラマにハマってると言ってましたし。

2020年に病没した高山真の唯一の自伝的小説

 『エゴイスト』は2020年に50歳で病没されたエッセイスト・高山真さんが書いた自伝的小説です。高山さんは東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる傍ら、エッセイストとして活躍された方です。d私は未読ですが、『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』(集英社)で一気に有名になったとか。原作となった小説は、その編集者時代、30代の恋愛体験がベースになっています。ストーリーを映画サイトの解説から引用しますね。

 「母が死んで、『死にたい』と思っていた僕の何かは死んだ』。14歳で母を亡くした浩輔は、同性愛者である本当の自分の姿を押し殺しながら過ごした思春期を経て、しがらみのない東京で開放感に満ちた日々を送っていた。30代半ばにさしかかったある日、癌に冒された母と寄り添って暮らすパーソナルトレーナー、龍太と出会う。彼らとの満たされた日々に、失われた実母への想いを重ねる浩輔。しかし、そこには残酷な運命が待っていた・・・。

映画『エゴイスト』オフィシャルサイト

徹頭徹尾オカマに見えた鈴木亮平の役づくりに脱帽

 主人公の浩輔を演じているのはカメレオン俳優の鈴木亮平。龍太は宮沢氷魚。二人ともモデル出身で高身長。鈴木亮平(40歳)は身長186センチで、奇しくも原作者と同じ東京外大出身。宮沢氷魚(28歳)は身長184センチで国際基督教大学卒。

 鈴木亮平はNetflixで「シティーハンター」の冴羽獠役に抜擢されたくらいですから、元々のイメージとしては男らしい役が似合う俳優さんです。冴羽獠は無類の女好きですからね。ところが、映画の冒頭から、彼はオカマの浩輔でした。しぐさ、目線、言葉遣い、纏っている空気感。とにかく存在自体が浩輔そのものなのです。彼が一人カラオケでちあきなおみの「夜へ急ぐ人」を歌うシーンがあるのですが、
その目が怖いのです。それまでの浩輔の陰の部分、怨念がこもっているようで、鈴木亮平も良い意味で怖い役者です。きっとものすごく緻密にリサーチして、役づくりをしたのだと思います。

 原作は二次元ですから、主人公の独白を読んでゲイだとはわかっても、オカマとかゲイコミュニティの雰囲気、ニュアンスは伝わって来ません。ところが、映画は実際にゲイの人たちを起用し、彼らがどんな会話をしているのか、どんな雰囲気なのかがリアルに描かれていました。「ああ、中学時代から、どんなに隠していても、同級生にゲイだと悟られてしまう雰囲気を纏ってるんだな」ということが伝わってくるのです。

どの作品より美しく弾けていた宮沢氷魚

 それに対して、宮沢氷魚が演じる龍太はピュアな好青年で、一見、ゲイには見えません。けれども、原作よりも積極的に自ら浩輔にアプローチしていくところがゲイの恋愛らしいなと思いました。私は彼が出演していた朝ドラ「エール」と「ちむどんどん」を見ているのですが、正直、それほど魅力的な俳優さんだとは思いませんでした。伊藤健太郎や松下洸平のような「こんな俳優がいたんだ!」というほどの驚きはなかったのです。ところが、『エゴイスト』の龍太はとてつもなく美青年に見えて、引き込まれる魅力がありました。きっと鈴木亮平との間でケミストリーが起こったのでしょうね。二人のラブシーンはすごくリアルなのですが、鍛え抜かれた肉体が美しく、本当に愛し合っている二人の行為だということが伝わってきました。

スッピンの演技阿川佐和子の覚悟を感じた

 もう一人、触れておかなければならないのが、龍太の母親妙子を演じた阿川佐和子についてです。龍太が亡くなった後、浩輔と妙子の2人で最後まで物語を引っ張っていくので、とても重要な役です。妙子は持病持ちで、この母親のために息子の龍太は高校を中退して働くことになるのだけど、とても愛情深い、良いお母さんなんですよね。阿川さんはテレビとは違い、すっぴんで演じていて、顔のシミやシワ、年齢を感じさせる手の甲もさらけ出してました。覚悟を持って演じているのがわかりました。最後は膵臓がんのステージⅣで亡くなる役なので、美魔女では困るわけです。監督は観客が見慣れていない人をキャスティングしたかったそうです。

ドキュメンタリーを見ているようなリアルさが胸をつく

 『エゴイスト』はドキュメンタリーを見ているような映画です。俳優全員が自然で演じている感が全くありません。子供の頃から舞台が好きで見ていますが、歌舞伎とか宝塚は「型」の芸術で、デフォルメされたオーバーな演技が多い。日常であんな話し方する人は絶対にいないでしょう。『エゴイスト』はその真逆で、セリフが日常の会話そのものに思え、登場人物の心理がリアルに伝わってきます。それで小説ではわからなかったことがわかりました。それは、龍太が死んだ後の妙子との交流をなぜ長々と描いたのか、ということです。

『エゴイスト』は3人の愛の物語だときづかされた

 舞台でも映画でも、脚本家なら妙子が龍太の死を告げたところで終わりにするでしょう。あとは龍太とドライブに行くはずだった海を眺める浩輔のシーンがあって、「僕の愛は身勝手だったのかー。」とかいう独白で「THE END」かなと。ところが、高山さんも監督もあえてそれはせず、龍太の母である妙子を物心共にサポートし、看取るところまで描いています。このパートがかなり長いのです。

 なぜかといえば、浩輔が愛したのは、龍太と妙子の2人だったから。
『エゴイスト』は2人の男同士の愛の話ではなく、3人の愛の話だったのだと、映画を見て初めてわかりました。浩輔は妙子に献身することによって、実の母に何もしてあげられなかったというトラウマからやっと解放されたのです。経済的にサポートしたのは浩輔ですが、浩輔の魂を救ったのは、龍太と妙子の2人でした。
そういう意味では、とてもスピリチュアルなテーマを含んだ物語であり、映画なんですね。私自身、どうしてこの映画を無理してまで映画館で見たいのかよくわかっていなかったのですが、このパラドックスの構図を解き明かしたかったのかもしれません。

龍太は低賃金と日本の福祉・結婚制度に命を奪われた

 私は占い師なので、舞台や映画を見ていて、「この人が途中で私に相談してくれていたら、こんなことにはならなかったのに」と思うことが多々あります。ですがこの映画だけは、「この結末しかなかった」と思わされるものがありました。

 浩輔は自分を犠牲にしても龍太に毎月10万円を渡し、彼に男娼をやめてもらいました。「自分が買うから」と言って。けれども、その中途半端な金額では、おそらく家賃と光熱費くらいしかカバーできず、中卒の龍太はあと15万か20万かを、キツイ肉体労働で稼がねばならなくなったのです。パーソナルトレーナーになるのが夢だから、ちょこちょこトレーニングの予約が入ったりして、アルバイトもフルタイムでは働けず、映画では廃品回収とかレストランの炊事場だったけど、実際は夜中の道路工事とか工場の夜勤とか、体内リズムが崩れるような仕事だったに違いありません。

 今だったら、イケメントレーナーとしてYouTubeで売り出せば人気が出たかもしれないし、よくよく探せば時給1500円くらいのバイトもあったかもしれません。ですが、20年くらい前では、人が嫌がる肉体労働でなければ、時給はせいぜい1000円くらいだったでしょう。オーストラリアのように、アルバイトでも700万以上稼げる国なら、彼は死ななくて済んだかもしれません。あるいは妙子に1人でも少し余裕のある兄弟姉妹とか叔父叔母がいて、「今の時代、高校くらい出てなくちゃ」と卒業まで資金援助してくれたら、龍太は卒業後に正社員の仕事に就けたかもしれないのです。ですが、妙子は若い頃からサイテーの男と結婚しなければならない境遇にいて、社会的にも孤立無縁でした。そのツケを息子の龍太が一人で背負うことになったのです。

 浩輔は龍太の死に責任を感じ、自分が龍太の人生に介入して、彼を死に追いやったのではないかと苦しみます。浩輔に会わずに体を売っていたら、死なずに済んだかもしれないと。ですが、妙子から龍太が「浩輔さんが地獄から救ってくれたと言っていた」と聞いて、少し心を軽くすることができました。例え生きていても、誰も気にかけてくれる人がおらず、愛してくれる人がいない人生は地獄なのです。ならば、短くても愛を感じたまま昇天した龍太は幸せだったでしょう。

 鈴木亮平は浩輔を演じて、同性同士の結婚を認めるべきだと発言していました。
今の日本の枠組みと法律では、浩輔の目線で考えれば、そういう結論に達したのだと思います。もし龍太が女性だったら、結婚してお母さんと一緒に浩輔と同居すれば、龍太と母は扶養家族となり、経済的な問題は解決したでしょうから。ですが、もし高校までが義務教育で、病気で働けなければ病院を通して生活扶助の申請ができたりする仕組みがあれば、誰かが自分の生活を犠牲にして他人を支える必要などなかったはずです。

 今の福祉のあり方はやる気があって、歯を食いしばって頑張る人が損をする仕組みになっている気がします。北欧のように、生まれた境遇やどんな親であるかに関係なく、勉強したい若者が教育を受けられる国にしていかないと、国際的な競争力は落ちるばかりで、相対的な貧困の進んで行くでしょう。

  『エゴイスト』という愛の映画を見てわかったのは、一人の男の愛と献身だけでは救えない命があるということでした。今の日本に求められているは、一食抜いても次世代を育てていこうという「アルトゥリスト(利他主義者)」なのかもしれません。

 

 


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