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好きだった先生が嫌いになった

私は好きな先生がいた。恋ではなくて、先生として。面白いし優しいし周りにも先生好きな人は結構いると思う。その先生に会った時に次の授業は出れそう?と言われてがっかりした。
三学期は1年の帳尻を合わせなければいけないからどうしても家族や先生に単位は大丈夫なの?と会うごとに言われる。もともと体調を崩してから話す相手が減ってしまったのに会ってすぐ話す話題がそれだと傷つく。
頭の中では体調が少し悪いくらいなら学校に来てと言われるのもわかる。それくらい進級が危ないから。先生的にも家族もずっと通ってきた学校を中退させたくはないだろうから。
でも自分にはもう学校の価値を感じられない。将来前に進むために大学に行く。そのために学校に行くとしても大学だって学校に行って授業を聞かなきゃいけないんだから今の体調では厳しいし。教室にいると気持ち悪くなってすごく疲れてしまうので、周りと自分の当たり前が違うことに寂しさを感じる。それを共感できる相手が今の学校にはいない。バリバリの進学校で周りの話題は問題集が難しいだの、塾のどの講習を取ろうだのそういう話題だ。授業中に教室の扉開けるのって緊張するよね〜?とか話す相手はいない。いるのかもしれないけど会ったことない。
なんなら単位を落として通信に行ってもいいかなーと思う。自分が埋めたい寂しさは学校に行くことでは埋められないし。自分がなんの病気か知りたくて先生に聞いてみたら不安障害だと言われた。同じ病気の人が同じ症状なのかもよくわからないから共感できるのかなあ。
今は好きな読書に意識的にのめり込んでいる。それしか寂しさを忘れる方法を知らないから。
いつも言う言葉は優しくても、大事な自分の欲しい時に優しい言葉をかけられないんじゃないか、と人を信じられない。
先生は体調が少し悪いくらいなら学校に来いと言うけれど、体調が悪いって言うのは人それぞれだし、風邪みたいにすぐ治るようなもんじゃないから一括りにしないで欲しいと思った。病気だって色々あるし。学校行けないにもいろんな理由があるだろうし。
スクールカウンセラーさんが教師との間に入ったらお互いの言いたいことが上手く伝わるんじゃないかな。
こうなる前はたまにしか来ない子のことをずるいなとかいいなとか思っていたし、興味がなかった。自分さえ良ければそれでよかった。でも今はたまにしか来ない側は来ない側でいろんなことを思うんだろうなとか少数派の気持ちを少しは知っている気がする。
寂しい。
前に読んだphaさんの本の中で、印象に残る内容があった。なんとなく大学に行ってなんとなく会社に入って、会社のストレスをお金で解消して。楽しむために何かをするんじゃなくて、会社のストレスをなくすために色々するのがバカらしくなった。みたいな内容だったと思う。
自分も今そう言う状況にいる気がする。たかが単位がやばいだの授業についていけないだの、それはこの学校の中だけの話で、外に出たら学校内ではバカでも結構頭がいいなんてことは普通にあると思う。だから学校のことをずっと悩むのもバカらしくなる時もあるけど、敷かれたレールから外れるのが怖いのかも。敷かれたレールを歩くのは嫌だけど。

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