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お話をする時間



相談の仕事をするなかで
その道で長らくご経験のある大先輩が

対話をするとき
心がけていることについて
お話されていたことがありました。

それは、
目の前の相手を 


助けてあげよう

自分がどうにかしてあげよう

自分が何かを与えよう


そんな風には
全く思わないというもの。

そして、それを思うのは
おこがましいことだと 


冷静かつ、
真実味を持ってお話されていて。



当時わたしは
その言葉をすぐには飲みこめず

困っている方が
少しでも楽になったらと思うのは
なぜおこがましいのだろう、と考えました。


お話を通して相手が

少しでも楽になったら、
自分が何かできたら、

実際にそう思っていたからです。




ただ、そこから
お話を聞く経験を重ね
あの時、大先輩がお話されていた言葉が

わたしのなかで
大切な考え方となってきています。


ある対人支援について書かれた本に


" もし、今小さな暗闇のなかにいる相手に
外の明るい場所から

「こうやったら出れますよ」
「こうすると楽になれますよ」

そう声をかけるとしたら。

その言葉は
相手にどんな風に聞こえるだろうか "

こうありました。 



もしかしたら、人によっては
外から人が声をかけてくれたことに
喜ぶ方もいるかもしれません。 

でもその一方で、

暗闇のなかにいる方は
いきなり外から声をかけられたことに
驚くかもしれないし

真っ暗で何も見えない状況のなか
こうしたらと言われても
なかなか動けないかもしれません。 

楽にしてあげたい、
なにかしてあげたい、と思うことは

もしかしたら無意識レベルで

自分の立場と相手の立場に
優劣をつけているような気がするとも
思うようになりました。 



相手とお話するとき
状況全部をわからないながらも

いま、どんなところにいるんだろう

どうしたら出られるだろう、と


一緒になって考えたり、
お話しながら進んでいく、

そうした共同作業なのだろうかと
大先輩の言葉を思い出しては感じています。 






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