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幼い頃の話。

宿題はだいたい間に合わず黒板の端に名前を書かれる常習犯。朝のラジオ体操はほとんど行った記憶ない。掛け算99もクラスで最下位争い。前ならえの手はいつも腰。給食も食べるのが遅すぎて給食室まで遅れて片付けに行き、マラソンをすればタイム以前に終わりのチャイムに間に合うかどうかを気にしてた。

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最近、自分が何をしたいのかわからないとか、得意なことがない、という相談をよく受ける。今日は「わかりやすい "得意なこと"がなくても、強い関心があれば自分らしさを持てる」と思ってる私のビリッケツだった頃に体験した私の原点になる思い出話を書こうと思う。

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5年2組。壁に貼られている沢山の紙。「国語係」「算数係」「保健係」...ひとり一つ、必ず係に入らなきゃいけなかったけれど、どれも特別やりたいと思えず何かもっと面白いこと出来ないかなと考えていた。そこで、仲の良かったおっとり優しいナツミちゃんと一緒に、お楽しみ会を開くための「お楽しみ係」をつくってもらえないかと担任の先生に頼みに行ってみることにした。

先生から、係にするための条件を4つもらった。
「会を開く方法を自分達で考えること」
「学級会をひらくこと」
「クラスのみんなが賛成していること」
「先生を納得させること」

なんだかRPGがはじまったみたいにわくわくして、家に帰って5冊セット色違いのノートを買ってもらって、一番お気に入りの黄緑とピンクの表紙のやつに <お楽しみ係ノート> とマジックで書いた。

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それから、休み時間の度にクラスのみんなが何をやりたいか聞いて回り、先生に何があれば納得するのか、ヒントを聞きにいった。

クリスマス会やりたい!と言うと、「クリスマスってそもそも何?」と先生に聞かれるので、何突っ込まれても答えられるようにクリスマスの意味を調べて印刷してノートに貼って情報を集めた。

教室の飾り付けをしようにも、新しいものを買えるお金があるわけでもないので、職員室のプリンターと裁断機の隣に紙の端材が入ったダンボールがあったのを思い出して、定期的に見に行っては使えそうなものを教室の後ろのロッカーに集めて、紙の輪っかを量産した。

会が中休みの時間では時間が足りなければ、道徳の時間をもらえないだろうか?とお願いし、体育館でやりたい!となれば貸切して使える時間を交渉する。

学級会までこれたら、クラス全員で机をコの字にして集まり、黒板に議題を書き並べる。最初は調べたクリスマスの意味やカラーの由来から、皆に伝えてた(これも先生から、調べた内容をクラス全員が知らないと認められないな〜みたいなこと言われた気がする)。そこから、会の内容をいくつか考えてきた項目のどれが良いか話し合って決める。

誰かがえ〜めんどくさい〜!とか、こうしたら良いでしょ!と言い合ったり、プレゼント交換のプレゼントで嫌なやつ当たった時にも絶対喜ぶルールにしようとか、小学校五年生なりにリスクヘッジを皆で考えた。

これなら先生も良いって言うでしょ!というところまで話がまとまったら、全員で、これでどうですか!と先生に宣言する。

先生はしばらく渋る演技をした後に、手を大きくあげて丸!!としてくれたら皆でやった〜〜!と喜んだ。

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その時のことを全部書きとめてたノートは、今どこにしまったのか覚えてないけど、とても自信が詰まった宝物。卒業文集も半分くらいはお楽しみ係のこと、というくらいに、私の小学生時代の記憶を占めている。

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予算やクライアントの要望、納期、規模、考えることや難易度は上がっているけれど、ずっと、同じことをやっているのかもしれない、と、最近特に思う。(そして、良い先生すぎるな、と感謝するばかり。)

中高は文化祭に力を入れ、大学も学祭が一番楽しそうだからという理由で武蔵美に決めた。新卒では結婚式をつくり、そして今の、クリエイティブディレクターとして空間やブランドが面白くて人に喜ばれるものにしたいと仕事をしている。

今でも、"俗にいう勉強"と"体力"は思わず笑ってしまうほど弱弱だけれど、10歳からやり続けている「喜んでもらえたら良いな」「もっと楽しいことしたいな」に対しての強い関心と経験が、27歳の私を生かしてくれている。

実際のところ、果たしてあの頃同じクラスだった人達の記憶に、どこまで楽しかった思い出として、あの日のことが残ってるのかはわからないけれど、一つでも多くの、よかった思い出になるような1日を、これからもつくっていきたいなと思う。

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