なぜ僕たちは虫が苦手なんだろう

自室でくつろいでいるときに彼は現れた。黒くすばしっこいアイツだ。
彼は僕の視線の端でぴょんぴょん動いて…ぴょんぴょん!?

自慢じゃないが、掃除には余念がない。毎日の掃除機はもちろん週末は持て余した時間はほぼ清掃に当てている。なぜならやることがないからだ。やることがないと精神が病むから掃除にし惜しむしかない。だから結構、いやまぁまぁ掃除が行き届いているはずなのに…なぜ虫が…

我々はなぜ虫が怖いのだろう。

そもそも恐怖とはなんなのだろう。我々はなぜ怯え、震え、泣いて、叫び、感情の波をフルスピードで泳ぎ、慄くのだろう。

少しその恐怖について考えてみよう。

恐怖とは無知である。
僕らは虫に対する理解がないから怖いのではないか?こいつは毒を持っているのではないか?刺してくるのではないか?噛むのか?そしたら腫れるのか?

それがわからないから怖いのではないだろうか。

いやしかし、無害なやつだっていることも知っている。例えばバッタやちょうちょなんかは基本無害であるし、人体になにか影響があるとは思えない。多少の理解、知識が入っている虫でさえびっくりしてしまう。それはあまつさえ地中から現れるミミズやダンゴムシだってそうだ。

子供のときは、土遊びをすれば自ずと彼らを目にしていたし、それに対する恐怖なんてもんも特になかった。

では、好奇心の欠落が恐怖を掻き立てるのだろうか。

つまり、虫。彼らに対する飽くなき探究心と知的欲求が我々の中から消え去ってしまったから怖いのだろうか。

付き合いたてのカップルの盲目的な愛。愛し合っていた間はよかったが、時が経ち片方だけが冷めてしまったときに気づく相手がこちらに向ける異常な愛情、海より深く黒い深海のような愛。

それらは、愛されていることが幸せであれば花だが、離れてしまえば毒。

つまり、虫を愛していけばその恐怖も自ずと消えるということ…?いやまさに絵の描いた餅。今更愛せだなんて無理だろう。

虫を愛せぬ今、つまり我々はもう虫を対して驚いて生きていくしかない?そいうことなのだろうか。

いや、違う。まだ虫が怖い理由は他にあるはずだ。

例えばその構造。動き、つまり跳躍力、機動性、ましてや空を飛ぶなどといった身体能力の高さに驚いているのではないだろうか。

重力を無視したようなその動きは、まさに怪奇。もし、昆虫が人間と同じサイズになれば、我々人間は為す術もない。つまり、己より高い能力をもつものに対する恐怖、武力に対する降伏、それらが無意識のうちに理解し、恐怖している…?そういうことなのか?

いや、その回答、異議あり。例えばダンゴムシ。かれはどうだ?土の下にいる彼らは、特に大きな動きはなく、やることといえば丸くなって固くなる。彼らは恐怖の対象かと問われれば「否、恐怖の対象ではない。」そうあなたは言えるだろうか。

言えない。ダンゴムシだってもちろん怖い。

待ってください。今バカにしました???

「いや、ダンゴムシは怖くないですよ」って思いました??

じゃああなた、もし家の中でダンゴムシがたくさんいたら怖いですよね?
あなたが蛇口を捻ってダンゴムシが出てきたら怖いですよね?

あ!ということはつまり我々は虫とかじゃなくていつも突然現れるというそういう状況に恐怖している?というのはどうでしょう。

例えば、「ここはバッタランドです。」と言われれば、バッタが出てきてもびっくりしないだろう。ただ、突然、家の軒先で、ビルのエレベーターで、家の中でバッタが現れれば誰でもびっくりするだろう。

これは、「いやなんでここにお前がいるんだよ」という驚きも含まれている。今日は嫁さんに内緒で仕事を休んで風俗に行ったけど、行った店の風俗嬢が嫁さんだった。

この場合、まず最初に出てくる感情としては「いやなんでここにお前がいるんだよ」であってますよね?

つまり、本当は怖くない。ただただ驚いているだけという仮説が正しい?

いや、そんなことはない。それはあくまでもファーストインパクトに過ぎずその後は恐怖という感情が若干遅れてやってくる。そのはずである。

無知ゆえに怖いわけではなく、ただ驚いてるだけというわけでもない。では、我々はなぜ虫が怖いのだろう。もしかして、見た目?

見た目が怖い。これはたしかにある。我々人間の基本フォルムとしては、手足が2本ずつ。これが基本。ただ虫たちはそうはいかない。足が6本、8本は当たり前。それらを起用に動かし信じられない速度で移動する…エグいです。

筋肉隆々で全身タトゥーが入ってる大男がいたとして、彼がおばあちゃんをおんぶして歩道橋を渡っていたら「見た目は怖いけど、優しい人」ってなるのと同じで、見た目の怖さっていうのは、行動や言動でのみリカバリーが可能なわけで、つまりやはりそれは人を知り、理解する。そういうことに紐付てくる。

ん?ということは、見た目の怖さというより、虫とコミュニケーションが取れないことにもしかしたら理由があるのではないか???

人は本質的に自分が理解できないものには恐怖を覚える。理解とは、表面的な知識だけではなく、本質を知ることも大切である。対生物に対してはコミュニケーションが取り、互いが互いを理解し合い、無害であると証明する。

僕らが虫が怖い理由、それは虫と会話ができないから。というのはどうだろ。会話ができなくても、例えば犬猫のようにここをなでてあげたら喜ぶとか、尻尾の振り方とかで機嫌がわかる。

ゲームでも薬物摂取で痛覚をなくしたパワー系のキャラクターって異質な怖さがあるじゃないですか。虫の恐怖はおそらくそういう類なのではないだろうか。

虫。もし彼らに知性があってある程度のコミュニケーションが可能だったら我々ももっと楽に生きれたかもしれない。

そして、あのぴょんぴょん跳ねる黒いやつはコオロギでした。もしいま君と会話ができたらどんな話をしよう。

僕「あ、君がいるってことはもう季節が変わるってこと?」

コオロギ「いや、あっしにはとても…毎年変な天気でやんすから」

僕「君は長いこと生きているの?」

コオロギ「あっしらは遺伝子で記憶をやりとりしてるんです。なんで今喋ってることも先代の記憶。ただ、あっしらは秋風に吹かれて遠く浮かぶ月を眺めるだけでやんすから」

僕「ちょっとゆっくりしていきなよ。ほら、水もきゅうりもあるからさ」

コオロギ「坊っちゃん、そりゃいけねぇ。あっしがここにいたら坊っちゃんたちに迷惑をかけちまう。情が移るといけねぇからここらでおさらばさせてもらいやす。」

僕「コオロギ…」

蝉の音は消え、朝晩少し涼しくなってきた矢先に、秋の到来を感じさせる彼の登場に僕は少し体が熱くなり、問答無用で掃除機で吸い込んで外に捨てました。


いや、さすがに手で触るのは無理っす。キモいっす。

結論「会話できても手で持つのは無理。」

お後がよろしいようで。

#秋 #虫 #考察




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