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KAITEN・SUSHI

回転寿司。それは僕らの革命でした。説明をしましょう。寿司が、廻ります。あのお寿司です。美味しくて、キラキラとした海から生まれた小さな宝石のようなネタと、日本の誇る、誰もが愛する畑のダイアモンド、お米が合体した、あの食べ物です。色とりどりのネタというネタが、僕らの周りを巡ります。お寿司に囲まれて、お寿司を嗜むわけです。素晴らしい。

元来お寿司は、江戸時代のファストフードでした。漁が盛んな街中の屋台で、さっさと握られ、渡され食べて、スタンディングスタイル。それが寿司でした。それがいつの日か、寿司の頭に「お」がついて「お寿司」なんてことになって、「お寿司」の暖簾をくぐるには、頭の中でひいふうみいと、お財布の中の先生方の出欠確認をしてから、みぞおちに力を込めて、「さあ、お寿司を食うぞ!」と臨む必要がありました。

しかしある日、僕らの革命が起こったのです。回転寿司の出現です。誰が発明したのか。誰だろうか。僕はその人に心から拍手を送りたい。気まぐれな思いつきなのか、マーケティングの戦略上の一手だったのか、そのどちらでもないのか、どちらでもいい。僕は回転寿司のある国と時代に生まれてきて、良かった。世の中のお父さんは、回転寿司以前に、寿司を食うときには、家族には少し後ろめたい気持ちを抱えつつも、ぐっと腹をくくって暖簾をくぐって、後ろめたさからか、お土産にお寿司の包みなんて持って帰って、深夜に帰ってくるのが常であった。寿司といえば、財布も心も痛む、しかし美味しい背徳の味であったのだ。

幸運なことに、回転寿司は家族をターゲットにしたレストランだった。回る寿司。詳しく言うと、大将を軸に公転する寿司の皿達である。美味しいが店を駆け回っている。それはもう子どもにとってはアミューズメントである。楽しみに来ているのか、お腹を満たしに来ているのか、もはや子どもにはとんと分からない。ときには、食べれば食べるほど、ガチャガチャを回すことのできるコインが貰えたりする仕掛けがあったりと、子ども心を超高性能のスナイパーライフルで撃ち抜かんとしてきている始末である。
そして子どもが味をしめて、お寿司食べたい!といえば、家族も付いてくるのが承知で、子どもたちにとって、楽しい記憶が回転寿司で作られて、大人になった後も思い出されるのである。そして大人になった後、子どもたちを連れて、回転寿司にやって来るのである。

寿司屋に行くと、どれ順番とか、マナーとか、お箸を使うのか、手で掴むのか、なんて煩わしいけれど、ここんとこ回転寿司は明確でいい、食べたいと思った皿を掴む、そして食べる。取って食べる、それだけである。時々キラキラ光るお皿は保護者の確認が必要なこともあるが、基本的には、単純明快、明朗会計なわけである。

回転寿司のネタ、という概念はここ数年で、大幅な拡張がされてきた。ハンバーグ、うどんに、天ぷら、ケーキと回転寿司屋さんは、寿司屋であることを飽き足らず、いわば食のアミューズメントパークとなっていったのです。ああ、食べることの幸福。

先月、初めて旅行で金沢に行ってきました。何で今まで僕は金沢に行かなかったのだろう、というくらいに好きな街でした。夜はもちろん、回転寿司。気取らない寿司、だけど一級品のネタ。結構遅くに伺ったので、もはや寿司は回っていなくて、直接職人さんとやりとりをして、寿司を握ってもらう。うまい。ガスエビが、エンガワが、少し奮発して、中トロが、ノドグロが・・・!旨味が強ければうまい、という定規を超えて、もはや立体的なうまさ、自然の力による旨味の底力をまざまざと見せつけられる。

ああ、回転寿司、僕ら食べることの夢。美味しいが駆け巡る店内で、心の中で喜びを叫びたい。美味しい回転寿司が僕の街に増えればいいのに。朝からあら汁を飲んで出かけたいし、昼にはさっと10貫くらいつまみたいし、おやつの時間には大福をつまみ、お茶を啜りたい。夜には、日本酒や天ぷらだって楽しんでみたい。街角のインタビューで、好きなものを聞かれたら、少年の心で答えるだろう、それは寿司だ。回転寿司はこれからも、食べることの尊さと、楽しさを万人に伝え続けだろう。ああ、回転寿司、食べることの幸福。

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