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できないフリをするのが巧くなる大人たちへ

 こんにちは、おひさしぶりです。
ずいぶんと長いこと、noteを書くことから離れてしまったことに理由づけをするとしたら、あれこれといくつも浮かんできます。
課題は多すぎたし、アルバイトもあったし。それに、あれもあったし、これもあったし。大変でした、ほんとに。(冗談はこのくらいにします。)
 さて、そうやって、できない言い訳を重ねる「自分」が、いつから私の一部となってしまったのだろうか、今そんなことを考えています。

できないフリをするのが巧くなる大人たちへ

 人は、と一括りにしてはあまりに乱暴だが、私たちはいつからか、何に関しても「楽な方法」を学んでいくように思う。ここで言及したい楽な方法とは、「自分に期待しない」ようになることだ。そして、「できる理由よりもできない理由」を探すことである。
 アルバイト先の飲食店、レジの奥で、不安そうな顔であたりをきょろきょろと見回している自分に気づく。(私はまだ新人なんです、入って1ヶ月なんです)と言いたそうな顔で、所在なさげにうろうろとしていたはずだ。なぜ自分のことなのに、こんなに人ごとのように書いてるかというと、おかしいかな、やはりどこか人ごとなのである。自分に覆いかぶさる責務のようなものを、認めたくない自分がいるからだと思う。何かに甘えていたい、その何かは分からなくてもいい。何か、とにかく自分以外の何か、である。それによって責任を逃れられる、とは思ってはいない。そんなに世の中甘くないだろう。けれど、誰かが助けてくれることには期待している。私は自分に甘いのだ。自分にはそんな責任は負えませんという意思表示をしているのかもしれない。そんな顔でいるからか、本当に動きまで挙動不審になる。できなさそうな顔をしていると、本当に仕事はミスをするし、行動するにも動きは硬くなる。
 始めたばかりで自信がなくて不安な表情になるのではと思う人もいるだろう。しかし、私は自分に保険をかけている部分があると断言できる。意図的ではなくても。
 先輩に「落ち着いて、早口になってるよ。深呼吸して!」「できてるから大丈夫だよ」と言われて、(ああ、今日も私は、ちゃんと新人アルバイトだ)と安堵している自分がいる。面倒を見てもらっている末っ子のような立ち位置は居心地がいいのだ。私にとってそれは、自分の身長が165センチから166センチになるのを嫌がって、身体測定でわざと猫背をつくるような、そんな小さな抵抗である。一方、どこまでも頼りないアルバイトとしてちょこまかと動き回っている自分を、冷ややかな目で見ている私がいる。(もっとできるんじゃないの?なんで堂々としないの?)と言いたがっている。(昔の方がよほどしっかりしていたんじゃないの?)と。自分の防衛本能がそうさせているのだ、私はすぐさまそんな言葉を返し、もう1人の私を押さえつける。胸に湧き上がった違和感は、すぐかき消される。
 けれど、そんな自分でいることを望んでいるかと言われれば答えは否だ。小学生くらいの頃、自分の人生の主人公は自分だった。いや、もしかしたら他人の人生の脇役としては大きすぎるくらい、うるさい存在感を放っていたかもしれない。それくらい自信過剰だったし、その自信に申し分ないくらい、なんでもできたのである。
 しかし、失敗することに、年を重ねるほど臆病になる。人の成功に素直に喜べなくなる。そんな自分がいた。昔ほど、全てを賭けて飛び込む勇気は今、私のポケットには持ち合わせていない。損得勘定なしには動けないし、頭で膨らませた輝かしい理想は、ちゃんと理想のままである。
 自分の人生の主人公は自分。確かにそうかもしれない。だが、人の失敗や成功を横目で見ている私は、自分の人生の主導権をちゃんと握れているだろうか。人のレースの妨害者、もしくは観客になっていないだろうか。自分を自分として生きられる権利を放棄していないだろうか。自分のやったことが否定されるのが怖い、自分の歌を投稿して、微妙だと思われたら辛い、自分の文章を読まれて期待外れだとがっかりされたらどうしよう、今からギターを始めるなんて、そんな時間あるかな。自分にたくさんの可能性を残しておきたい私は、自分の可能性を開花させる機会もまた摘み取っているのかもしれない。他でもない自分の手によって。
 誰も私のことを否定してなどいない。しているとしたら、他でもないだ。他者の評価に踊らされる私は、今日もTweetについた「いいね」によって自分の心が動くのを感じる。他人ベースで生きていないか?そんな問いかけは今のSNS時代で必ず忘れてはならない。
 先月、アルバイト先に新しい人が入った。自分よりも年下の女の子である。自分の変わるきっかけは、至る所に転がっている。肝心なのは、それをつかみ取る意志があるかどうか。最初が肝心だと誰もが言うし、私もそう思う。「頼りがいのあるバイト先のお姉さん」そんな自分を演じてみるのも、また面白いかもしれない。それによって、本当に自分が成長できることに賭けてみようか。ここをひとつ、自分のアップデートの機会としたい。

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