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クリエイティヴ、って何だ。 イギリスで宿を経営する知り合いの話

「働き人File」というオンラインマガジンがある。リクルートジョブスが運営しているもので、ライターが自分の仕事、ではなく他の「誰か」のことを書いている。父親だったり、兄弟だったり、友人だったり。私は小池みきさんの「声優志望だった弟が、ドラッグストアで見つけた新しい道」というタイトルの寄稿が好きでたまに読み返している。


面白いから、働き人fileから「寄稿しませんか」と来たつもりで書いてみようと思った(つもりだから怒らないでください)。
私は、あるB&Bのオーナーのことを書きたいと思う。



彼女の名前はジュリエットと言う。イギリスのヘレフォードで『Lowe Farm』(ローファーム)という農場とB&Bを経営している。
私は親戚ではないし、友人と呼ぶには畏れ多い(気さくなので友人のように接してくれるのだけれど)。多分、ファンと呼ぶのが一番だ。ジュリエットは何度か日本のファームステイ、ゲストハウスのオーナーとイベントをしたり講演に来たりしているそうなのだが、写真を見ると、みんなジュリエットが大好きなんだな、というのが伝わってくる。私も日本にいるファンの一人だ。

ジュリエットは「プロフェッショナル」という言葉を大事にしている。それがテレビのCMであれハンドメイドの小物であれ、あるいは店員の対応であっても。「このお店の食べものはプロフェッショナル」「あのレンタルカー屋はアンプロフェッショナル」といった具合に。だからもちろんB&Bも設備から朝食まで「プロフェッショナル」であることを一番にしている。買っているコーヒー豆から彼女が自分で塗った部屋の壁の色まで、ジュリエットが「プロフェッショナル」だと選んだ会社・お店のものだ。

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       ▲ローファームに飾られていたクリスマスツリー。

それは、人に接する時の対応も同じなんだと思う。
クリスマスにテレビで放送された『プリティ・ウーマン』を観ているときだった。映画の最初に、ジュリア・ロバーツ演じるコールガールのヴィヴィアンが服屋の店員から冷たくあしらわれる場面がある。その時にジュリエットが、小さくもはっきりと「本の表紙だけでは中身は分からない」というようなことを呟いた。英語でそうした慣用句があるんだろうか。知らないけれど、つまり、服装や見た目からどんな人か決めつけるのは間違いだ、ということだと思う。『プリティ・ウーマン』はフィクションだけれど、ジュリエットはそういう対応はぜったいしないんだろうなと、他の何よりもむしろその一言から思った。
『プリティ・ウーマン』の店員のような対応はとても「アンプロフェッショナル」なことなのだ。


こう書くと、スーツでビシッときめたシリアスな顔の人を想像させてしまうかもしれない。けれど、私が何よりも好きなのはジュリエットのユーモアだ。常に、何か面白いこと・楽しいことを考えている。

テキパキと片付けながら、「掃除機の散歩中!」なんて笑うジュリエットを見ていて、自分自身が楽しくしていることとプロフェッショナルは両立できるんじゃないかと思った。

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      ▲「ベッドで朝食を食べたかったら、キッチンで寝よう」


ジュリエットはヘレフォードで生まれ、同じくヘレフォードで生まれた人と結婚した。実際、子どもの頃住んでいた家はB&Bのすぐ近くにある。

私は、生まれ育った場所が嫌になって早々に出た。
「クリエイティヴ」にずっと憧れていた。それってはっきり言うと何なのか分からなかったが、生まれた場所にいては手が届かないような気がした。
分かりやすい「クリエイティヴィティさ」で言うと、私は絵も描けず、小説も書けず、音痴で、技術や美術の授業では、クラスで一人だけ課題を完成できなかった。何も生み出せないのに、というかだからこそ「生み出せる」人、それを生業にしている人が羨ましかった。

出た先は都会だったけれど、「クリエイティヴ」には全く近づけなかった。近そうな仕事のアルバイトに応募するも全部落ちて、唯一採用してくれたところはごちゃごちゃした街の一角にある暗いビルの中で、別に私じゃなくてもできる仕事だと思いながら鬱屈してやっていた。


「あんた、その『クリエイティヴ』な仕事とかしか意味がないと思っているでしょう。自分にはできないから悔しいんでしょ」

ごみごみした都会の中から、耐えきれなくなって母に電話した日、母は電話越しにそう言った。「クリエイティヴ」を忌々しそうに発音しながら。

「あんたの考える『普通な生き方』をバカにすんな。『クリエイティヴ』とかが全部じゃないから」

何も返す言葉がなかった。




最初の「働き人File」の話に戻るが、小池みきさんのこの文章に、私はいたく感じ入った。Lowe Farmに行く1か月前くらいのことだった。


私はよく人から「クリエイティブな仕事に就きたいのだがどうすればいいか」という相談を受ける。ものをつくる仕事を、そうでない仕事より楽しそうだとか、かっこいいとか感じる人は少なくないのだと思う(実際どうか、という話は長くなるからやめておく)。
でも、そういう仕事につくことだけが「クリエイティブ」な働き方、生き方への道なのかといったら違うと私は考える。
「こういう風に生きなければ」という枠を壊しながら生きること、日々新しい考えや行動をつなげていくことも、「クリエイティブ」な生き方だと言えるのではないだろうか。(小池みき「声優志望だった弟が、ドラッグストアで見つけた新しい道」より引用)

そしてジュリエットを見ているうちに、小池みきさんが書いていたことが、感覚として「わかった」ような気がした。
「クリエイティヴな仕事」という言葉だけ聞いて、農場やB&Bを連想する人は少ないだろう。田舎よりも、ビルが立ち並ぶ都会に似合いそうな言葉に思える。

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ヘレフォードは田舎だ。道はこれでもかというほど狭く時には舗道すらされておらず、両脇には生垣とその奥にだだっ広い畑や草原が広がっている。「お隣さん」が見えない。主な産業は農業だろう。

「私にはアートのセンスがあるからね」
ジュリエットはそう言ってグリーティングカードを手作りしていた。昔はウェディングドレスも縫ったと言うし、何でも作ってしまう人だ。ジュリエットは人もモノも、良いと思えば手放しでほめるが、自分のことも家族のことも同じくらいほめる、というか自信を持っている。

謙遜と卑下はたぶん違う、と常々思っている。「私にはアートのセンスがある」と言ったジュリエットの言葉に自慢するような響きは少しもなく、それはただ事実として言ったのだと思う。そして、自分の知識を誰かに伝えることを全く嫌がらない。「勉強になるだろうから」と言ってキッチンにも入れて料理を見せてくれたし、B&Bの予約を管理しているページにまでアクセスさせてくれた。予約サイトは十分便利そうに見えたけれど、本人によるとまだ使いこなせていないそうで、今年はあと2つ勉強することがあると言っていた。

クリエイティヴだ、と思った。そして大事なことは、多分ジュリエットは違う仕事でも、違う地域に住んでいても同じ生き方をするだろうということだ。例え私の故郷でも、ジュリエットの目を通して見たら違うのかもしれない。そもそも、日々の視点が違うのだ、職業だとかどこに住んでいるのかということ以前に。
私が望む「クリエイティヴ」が故郷では手に入らなかったのは故郷の「せい」ではなく、私が「こうであれ」という枠に自分ではまっていたからかもしれない。だから故郷を出ても見つからないままだったのだ。



昔どこかで読んだ本には、「本当にすごい人は忙しくても誰かに時間を使うことを厭わない」と書いてあった。ジュリエットが割いてくれた時間と何にも換算できないくらい貴重なものの多さに震えながら、私は自分がどうしたら良いのか分からない。同じくらいのものを本人に返せない。だから今せめてできることとして、ジュリエットについて書いている。このnoteはたいした宣伝にもならないだろう、でもヘレフォードやローファームについて聞いたことなかった人が、関心を持ってくれたらいいなと思って書いている。


クリエイティヴ、という言葉が持つ「自由さ」に憧れて、でも結局はその憧れ自体が重しになっていた。そのことを悪いとは思わない。事実、今でもやっぱり憧れている。でももう少し、その枠を広げて見てみたい、とジュリエットと過ごしていて思った。

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 おわり。 



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