学びの直感
古い手帳に挟まって、メールのプリントアウトが出てきました。
20年前の父からのメール。
そのときいた会社の退職について、父に相談していたようです。
どう辞表を出せばよいか?引き止められているが、どうしたらよいか?
退職が叶った報告で、父に打ったメールの返信。
思えばこれは、私が今のワークスタイルを始めるきっかけとなった退職でした。
私はいつも、悔しいメールがくるとプリントアウトする癖があるので、このメールの中には当初私が悔しくてしかたなかった要素が含まれています。
でも、それらのメールは見つかって読み返してみると「これがきっかけで学んだ」ということばかり。
この父からのメールも、ただただエールであり、予言であり。
私が今まさに、熱心に取り組んでいることも書かれているではないか。
感情は、一瞬の予言を見透かして、人を行動に駆り立てる。不思議。
京都の習慣では、軒先で上がるように勧められて、一回で上がる奴は図々しい奴で、三回くらい勧められて、やっと上がるのが常識だそうだ。
辞表も最初は受け取らないのが、常識だと思っている人がほとんどでしょう。驚いても良いが、事情を聞いて本人の考えがもっともだと思ったら、快くその場で受け入れれば良い。もっとも会社の、又、ある場合は、人同士の利害が絡んでくるので、どうしてもその人を引き止めておきたいのであれば、熱心に引き止めれば良い。
高い採用経費を費やして、新入社員に仕事を教えてあげることを常識としてやってきたわけで、加えて年功序列と終身雇用を制度としていれば、若い社員が辞めることイコール会社の損害となる。それが引き止めることを常識としてきたのでしょう。本人の為を思っているようなことを言っても偽善が多いので気を付けましょう。
雇用習慣の変化と労働力の流動化がもっと進めば、習慣は変化するでしょう。でも寂しい事などない。もっと気持が良い習慣になるでしょう。会社に所属する習慣さえ無くなる可能性はある。それは人間がもっと自由になることにつながる。
経験に裏打ちされた技能があれば、歳を取っても社会は、自分を求めてくれると考えて良い。若いうちは、無条件にちやほやするだけだ。
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